母が亡くなり、兄弟が集まるだけの火葬式は母が入所していた地方でとりおこなった。
そうする事は去年のゴールデンウィークに同じメンバーで話し合って決めた事だった。
一つ、不確定要素だった父の事。
結果的には母と同じ施設に入所になった。母は父が入所して一週間後に亡くなった。
施設のスタッフから、「お母さまは、安心して、それで…。」
目を潤ませて、言葉にならずも伝わってくる。
旅立ちの前の化粧と清拭。
母を最後まで丁寧にケアして下さった事に感謝してやまない
普段の服装で母は眠るようだった。
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父の事に話しを戻すが、
母が身を引くような形で
父の入所が叶った。
はっきりとは伺えなかったが
特養の待機人数からすると
大きく外れてはいまい。
夫婦の深い絆と、どこまでも縁は不思議で人智を超えている。
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小さな骨壷
母のお骨は、自分の寝室の片隅に設けた仏壇の、小さい骨壷に納めてある。
この段取りは、ある程度は兄弟で決めたことでもあるし、
母のお骨は新幹線移動時にも、
いかにも骨壷、とはならず、
最善だったと思う。
また、父の施設に面会の際にも
この事は功を奏したと振り返る。
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父と面会
末妹が説明役になり、
父とはガラスドア越しで
互いに片手は常にインターホンだ。
紫色の帛紗に包んだ小さな骨壷と、
紫の房の数珠は父にも何が起きているのか、よく伝わったと思う。
父は半日ほどの記憶もおぼつかないそうだから、それは少し、救われる気がする。
このように父も、兄弟たちも
それぞれの拠点に戻らねばならず
・雪の前に火葬式を終える事
・地域柄、友引は葬儀関連がお休みになる事
そんな条件下でも夫の手際で
小さなお別れ式を終え
行政の手続きを終え
新幹線移動で自宅に戻った。
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法要の日、供養の様子。
このログを参列できなかった親戚がご覧になる、かもしれない。
これから四十九日までは
毎日毎週の供養、施主として
悔いのないように過ごしたい。
追善供養の施主は、初めての事で
間違いはあるかもしれないが
自分の学びと思って、書き残しておく。
初七日を終え
今日はこの辺で。