最近、繰り返し聴いている本が。
オーディブルではなくて
ユーチューブです。
ご本家はこちらです。
この手の本を読む人は
スピ系好き、というのでしょうか。
独特の言い回しが、なかなか理解できず、
活字で読むほうが良いのかもしれません。
この本は片手間に読むとか、
暇つぶしに読むには難解で
テーマも壮大で深いです。
仮に、著者になったつもりで表現すると
逆境(アウェイな状況)を「花鳥風月で癒す」ための
ノウハウというサブタイトルなら印象は変わると思います。
ちょっと的外れはお許し頂きたく、
逆境(個人的には受験の乗り越え方)を以下のように
本書がいざないます。
くじけそうなときに花のつぼみ。
悔しさにむせび泣くときに鳥の羽ばたき。
努力が無駄に思うときに早朝の凛とした風(空気)。
不安や焦燥感のとき輝く月を見る。
花鳥風月の、圧倒的な自然の美しさは宇宙法則に逆らっていないこと
生命力がみなぎっていることに注目してください。
がんじがらめの、こんがらがった思い込み、思考を
静電気でビリビリ帯電している状態としましょう、
それをアースする時間(瞬間)をあなたにも体験して頂きたいです。
タイトルのニュー・アースはあまりにも抽象表現なので
放電の意味もあるアース。
もじってみたのですが、けしてダジャレでも
ふざけてもいません。
それほどに本書は手短に要約は難しく、
なぜかというとこの本を手に取るということは
読者の実生活で生きづらさや困難を抱えている場合、
なんとか打破したい気持ちや
乗り越えたい気持ちと同じくらいに不安や焦燥に
駆られ、空回りしている状況かもしれないからです。
もしそう言う困難な渦中なら、
途中で投げ出したくなるほど、ズバリ指摘を受けたかのような
箇所、ショックを受ける文章もたくさん出てきます。
そこは初期仏教の教えに似ている印象を持ちました。
初期仏教はお世辞抜きで人生の苦を言い当て、
そこから抜け出すのは己の責任、とするからです。
読み手しだい、とは思いますが
この本からの知識・情報を得ておいて良かったと思う
大事な時期でした。少なくとも次女には。
第1章から第7章までが人間のネガティブについて書かれ
さんざんに反省(内省)、つまりはこんこんと
うまくいかない原因は己にあるのだ、と聞かされます。
思わず救いはないのか?と叫びたくなりますが
どうか耐えて読み進む(聴き続けると)
第8章からはポジティブへの切り替え方法について
書かれているので安心してください。
そしてどうか端折って第8章から読めば良い、とせず
是非、ご自身なりの発見を実感して頂きたいです。
この本を読む(聞く)時に
しばしば引っかかってしまった表現について
同じような印象を持たれる方に諦めたり
読む価値なし、とはせずにご自身なりの解釈や
言葉の置き換えを試してみよう、と言うお気持ちになれば
幸いです。
もしも、内観する方にはなぜ瞑想するのか?の
答えが、真剣真面目に「解脱」、「悟り」を目指すものならば
この本の中身は、内観の仕方・アプローチととって良いと思います。
(控えめに言っても、反省(内省)する時間になり得ると思います。)
著者の表現がイエスキリストのことばを引用したり
スピ系の人が多用する「魂」とか「霊性」、「光」などの
抽象表現があまりにも多いので、
せっかくの理性的なアプローチがモヤモヤしましたが、
抽象表現が出てきたときは「智慧」や「理性」にあたるのかな?と
置き換えたりして聴きました。
そうするうちに著者の言わんとしていることは
良くない思考で書かれたものではない、
著者も真剣真面目に迷う人に灯りをともしているのだな、と受け止めました。
次女の大学入試の選考発表を控えて
次女のメンタルがジェットコースターのような日がありました。
著者は人間は誰しも癒えない心の傷を抱えていて、
その痛みを感じないように、思い出さないようにしているが
何かのきっかけでその傷の痛みが生々しく蘇り、
一挙にネガティブなマインドに変えてしまう、
と第4章と第5章に、こどもの心の傷について解説してあり、
人生の岐路に立つ次女に、母親としてではなく
道を行く旅人のように接する知識を教わったと思います。
本当にタイミング良く、シンクロしたと思います。
次女に伝えたい(引用するチャンスがあれば)事は、
どんな道でも縁がある道に進む。
思考や感情は一時的なもので、
合、不合格で人格が決まるものではないよ、と。
結局は自我の努力による成功は、
自我の増大になるだけなので
どんな道もこの世は相対の残酷な道であり
俗世間でのより善き生き方は
・受け入れること
・楽しむこと
・情熱を持って
この三つだそうだよ、と。
ネタバレになってしまうが、若い人に伝えたい普遍的な
知識が最終章に締めくくってあり、受験生にはきっとエールになると思いました。
もう一度言おう、この本はよく咀嚼しないと表現が難解だけれど
初期仏教の教えと重なる、骨太な箇所がたくさん出てきます。
真剣真面目に輪廻転生から抜け出したいと、瞑想する人には
キリスト教圏や欧米の文化表現はこうなのかもしれない、
自我で固めたポジティブは自我の強化に過ぎなく、
それならばいっそ、ネガティブを観察し一旦停止。
自己のネガティブに気付くことは、初期仏教の教えと同じだからです。
ネガティブを生み出しているのはおのれ、
ネガティブを観察するならば、ネガティブは観察者の内観でとどまり
その状態は、静電気を放電のアース、をイメージしたのはあくまでも
個人の感想です。
内容は深淵なのに、神とか、大いなる。。。という表現の時に
オリジナルな解釈をお許し頂きたい、放電のアースをいめーじすると
個人的にしっくりきました。
難解で諦めたくなる場合は、YouTube朗読、
もあるのでおすすめします。