Luna Drop

50代内観 掃除 終活 断捨離 仏教

食事の観察2

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テーラワーダ式の食事瞑想を知る前に

私は更年期太りのダイエットをしました。

1年ほどかけて7kgやせました。

その時に献立記録を細かくつけていました。

カロリー計算と栄養バランスを気を付けることにしたのです。

・時間をかけて食べること

・バランスよい献立

・自分が足りる量を知る

・上記のデータをとって、その量を守る(自分は80回ほど、食べ物を口に運ぶと、食事量としては満足がえられる)

 

そして食事内容の記録は、ほぼ習慣化できました。

始まりは、メタボ解消のためだったのですが、

高齢両親と向き合うのと、拠り所にするお寺選びをするうちに

偶然、YouTubeスマナサーラ長老のお説法に

たどり着いたのです。

両親のためのお寺選びについては、過去ログにあるので、

きっかけの説明には十分かと思います。

 

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さて、食事瞑想は、テーラワーダ式では45分かける、というもの。

自分のデータでも、献立によってばらつきはあるものの、

腹八分目でも十分満足をえるならば、45分かけて行う意味は

(それを一日1回、やる意味は)いったい何なのか?

という話をします。

 

マインドフルネス イーティングでググると、

さまざまなサイトにアクセスが可能です。

自分にあった食事瞑想をすればいいと思います。

私にとって食事の瞑想は、

「動きに集中すること」は、

こんなにも難しい事!!なんですね。

まだ、そんな段階なんです。

これを、あらたに習慣として取り入れるのだから、

それなりに自分が変わること、を目的にしています。

 

では、どのように自分が変わればいいのでしょうか。

仏教的には、人格者になるため、というらしいのですが

それはちょっと今の自分には響きません。

それよりも、「冷静な態度」なら、

自分はある程度アウトプットできるようになりたいです。

一番しんどいのは、「人間関係」です。

以下『人間関係』とは「他者」と言い換えますが、

他者とは程よい距離を保ち、

他者に自分の役割が自然に果たせる、

そんな人間になりたいのです。

 

今の段階で、食事瞑想の効果はこうです、と言ったところで

こちらをご覧頂く方にはなんのお役にたてるかはわかりませんが、

変化はあります。

 

例えば、人と接するときに、すごく気を付けるようになります。

自分の態度がどういう因果法則を生むのか?

という風に過ごすようになります。

今、の生き方の因果を、いずれ自分が引き受けることになるので、

「我慢」で人に尽くすことは馬鹿げているし、

だから自然に【自分にできることはこれです】という働き(行為)を、

心をこめずにやるのです。

心をこめないほうが、自分にはしっくりくるのです。

淡々と行えば、自分の心は疲れないのです。

その経験は、次の経験にもいい影響があるような気がします。

 

~夫婦の事~

しかし夫には、「心をこめない」ことや「反応しない・判断しない」態度を

すごく注意されました。

コロナ禍で、同じ屋根の下で夫と24時間一緒にいたら、

「心をこめない空気感」に慣れてもらいたいのですが、

「心を野放しにした因果法則」と、

「心こめずにさらっと流す因果法則」の違いは、

私の行い次第なのでしょう。

夫婦は空気のようにいたいものだ、

そう思います。

 

~両親との事~

ひとつ前の投稿には、両親の、子どもに対する期待や

愛着について書いたのですが、

例えば、両親と心を通わせるときに、

自分は両親に余計な反応をしない(判断しない)という、

リアクションをとります。

両親から何を言われても 気にしません。

という態度を取り、心にギャップがあるか、ないかを確認します。

気にしないならOK

気にする場合は、なぜなのかは追求しません。

気にするような事を言ったのは自分ではないからです。

それは、あくまでも両親の気持ちだ、と意識します。

すると、両親に対する態度はほぼ、冷静でいられるのです。

 

結果、母親から、お前は正しい事はやってくれても可愛くない

と手紙に書いてあっても

心は動きませんでした。

これは、母からは手紙で受け取るので、

私の感覚ではすごくマイルドに受け取れるのです。

 

一方、父親とはどうでしょうか。やりとりは電話の場合があります。

父親が期待するような態度を子どもがとらない、という理由で、

父親が怒る場合があり、(私にではなく、兄弟の場合でも快くはありません)

その時の反応として、母の事を引用して父に切り返しました。

父は母をかばい、私をフォローするような言葉がけでした。

電話でリアルタイムに受けた時に感じたのは、

鼻の奥がつ~んとして、

切ない気持ちです。

切なさとは、親も不完全なのだ、という洞察です。

「冷静になる」、「冷静で居る」という心の働きには、

いきなり機械的な反応が起きるわけではないんだな、とわかったのです。

 

大切な人間関係で、他者から何を言われても、

自分さえ「判断」をしなければ(余計な反応をしなければ)、

ただ流れていくだけです。

もし心が勝手に反応する場合、くしゃみ、みたいなものなんですね。

父との会話で、鼻の奥がつ~んとしたのは、くしゃみです、と言う風に。

 

因果関係を理解できない人々と、因果関係を理解して気を付ける人とは

「気づき方」がどうしても違ってしまうのだな。

たとえ短い時間であっても「心」を観察しだすと、

その事に無意識に過ごしていた生活は、

できなくなる

 

・・・のではないかな、という見解。

心に起きた変化(食事瞑想によって現れた変化)、

について書きました。

 

 

j-theravada.net

 

 

 

 

 

 

 

 

親の気持ち

親の気持ちを、わかっているようで

わかっていないものなんですね。

 

つい先日の、母からの手紙に、

母の率直な気持ちが綴ってあり。

 

【お前は、悪いことをするわけでもなかったし、成績もわるくはなかったけれど、なにか可愛くない。他の兄弟は、それぞれ素行の悪さや、成績の悪さや、道徳的にはずれちゃうことがあったとしても、なぜか憎めず、できの悪い子ほど可愛い。あのこたちはどうしてるの?】と言う内容でした。

 

父には父の、子どもに対する愛情の違いがあるようです。

電話で呼び出すときに、わたしが【もしもし、おとうさん?】と呼びかけると、

「〇〇ちゃん?」と聞くのです。

兄弟の中で、ちゃん付けするのは、3女にだけですから、

「あ、〇〇(私の名前)です、残念でした、お変わりないですか?」と切り出します。

親子げんかになっても、たとえ疎遠でも、他の兄弟が可愛いのです。

定期的に電話をする私には、遠慮のような、言葉にならない【遠い物】を

父からキャッチする。3女への親しみほど、私にはないかも。

このように感じるのは、私の妄想かもしれませんが。

 

コロナワクチンの案内を、父の住む町ではどんな進み具合なのか、親族と相談せねばならず、福祉に相談中なのですが、進捗状況を父に聞くと、「別に誰からも連絡はない」という返事の後は、父の期待通りになっていない不満がでるわでるわ。。。

また怒りのスイッチを入れてしまう前に、母からの手紙の話をしてみました。

「…そういうことで、おかあさんは、私を可愛くないんですって。他の兄弟は、手紙をよこすわけではないんだけれども、なぜか不思議にかわいいんだよ、それに比べてお前は、正しい事をやってくれてもね、可愛くないんだよ。ってかいてあったので、親には、他の兄弟には、愛情がどうしてもちがうものなのね、仕方がないね。」と、冗談ぽく言ってみたのです。

すると、父は、母の率直さにどうちょうするのではなく、

私をフォローするのです。

「その時はたまたまそう思っただけで、気にするなよ。」

「親は勝手にそう言ってしまう事があるけど、こだわらず、適当に流しちゃえ。」などと、他の兄弟への愛情のむけ方の不平等を、ごまかすのです。

わたしは、腹が立ったりしませんでした。

ただ、ちょっと鼻の奥がつ~んとして、目がうるうるとしただけです。

 

まとめると、親の期待する老後は、子どもはかなえてくれず、

悶々と不満をため込んでいる場合。

しかも親子間が不仲な場合、これはこんがらがった糸をほぐすのは大変なんです。

こんがらがった糸をある程度で整理して、これは片付かん、と見極めるのなら、

無理にほぐそうと思わず、こんがらがったままほうっておく。

大事なのは、機能しなくなった親の衰えを、どうサポートするか、なんですね。

介護サービスを使う、

家族でサポートする、

どれも拒否る場合は、地域包括支援センターも利用する。

そして誰かが理性的に、両親に変わって、家のなかの【政治】をすることです。

家庭には家庭のルールを、衰える前は親たちは親の考えで行っていたはずです。

ちゃんと地域住民の役割を担いながら、暮らしていたはずです。

まるっきり同じには引き継げないのに、親はもとの暮らしにこだわったりするので、うまくいかないんです。

なので、こらえながら家の中の「政治」を子どもができる範囲で取り仕切るんです。

政治ですから、家の中の予算などなど経済バランスを考え、暮らしを調える。

それが役割であり、もし、親の期待を100%答えられずに、支持率は低迷しても気にしない事です。

親には親の期待があって、もっとちがう政策やら、担当大臣だったら良かった、

そういうギャップはこれから先も続く?のかもしれません。忍耐です。

親の家の事まで理性的に仕切れる子どもはそんなにはいないものです。

めんどくさいけれど、自分の老後のために、きっと役に立つと気持ちを無理やり切り替えます。

親とのギャップは、うまくいったこともいかなかったことも、データとして

経験として役立てます。

 

南直哉先生の本、響く箇所がありました。

先生のお母様が、施設入所になった時期と

自分の母親も同じで、最近、お書きになる本には

「介護」について先生の体験を通したご意見は、

勇気になり、ブレずに受け止められるようになりました。

日本が抱える「闇」のようなもの

孤独について。言葉の選び方はドキッとさせられます。

しかし、押し付けはありません。

そしてわたしはこう受け止めました。

悟りは開けない、のあとに言葉があるように思います。

悟りは開けない、そのやり方じゃ。

とか

悟りは開けない、のあとに、ピッタリな言葉を入れて

本を読み終えました。

 

 

 

 

やる気に勝る、心の観察

今月末、父と母がオンライン面会が叶います。 母が入所して一年3ヶ月が経ちました。 振り返ると、両親はもとの暮らしに戻れない事に執着、未練の日々でした。

両親は、欲も少なく苦労を乗り越えて来ましたが、

老後の心の準備をしていなかったのが今を物語るのです。

肉体の衰えと心は別なのです。

この事は、両親を見て思います。

心は他人にはけして幸せにはできない、 それがわかると、

両親のどんな状況にも動じなくなりました。

 

 

50過ぎて、両親の衰えをサポートするのは、楽しいわけがなく。

やる気なんて、出ません。

自らの老後問題ならともかく、 親の老いに付き添うのは、

半端な決心では心を折られます。

もし年寄りに付き添うための、やる気について決心するならば

覚悟を3つご紹介します。

 

1つ  大きな決心でなくても良い。

最小で良いのです、その方が細く長く続けられます。

最小の努力なので、知力体力の変化で起こる軌道修正や、

心構え、反省もそれほどしんどくありません。

 

2つ 成功を期待しない。

喜ばれない、褒められないと腹をくくります。

最後は〔死〕で終わるのですから、 明るいプロジェクトではありません。

時々、これはご褒美かしら?と感じるような事象に遭遇する事が

あるかもしれません。 それで十分です。

親にはその日その日にムラがあり、どんなに尽くしていても

「お宅様はどなた?」となるわけです。

そんなやり取りがしょっちゅうになります。

動揺せず、観察します。

 

3つ 善友なくとも一人歩む

親の付き添いを喜んでする親族のあるなしは、

自身の業の計らいだと諦めました。

その方が身が引き締まり、良い事だけを心がけて実践する勇気が湧くのです。

他人の心がけは自分にはわからないものです。

下心や批判に流されているかいないかは、自分の事ならわかります。

もし、うまくいかなくても、それは時間の法則で機が熟していないか、

自分が蒔いた種、と気にしない事。

すっぱりと悪業を受け止めて流します。

 

暗い話を一旦おきます。 ハイライトもあるからです。

努力の結果は関係する人々を必ずや明るくします。

良い事はたとえ小さくても共有できるのです。

親の衰えは、親は隠していたいのですが (認めたがらないのですが)

観念する日があるのです。

その時のために、準備をしておく、そのようなスタンスが自分には気楽です。

 親を観察することと 自身の心も整理しておくことです。

 

 

やる気につながるかわかりませんが 心には〔栄養〕が必要です。

栄養は、余白、のようなものです。

空間、家族、親族。 知力、体力、経済力 それを超越する何か、です。

問題に対して、ちょっと距離をおく(冷静になる)という感じで。

 

リラックスしたとたん、

あるいは何も考えないとき、

完全に諦めた時など

ー余白ーのようなものが あらわれます。

じっくりと本を読むのも良いです。

気に留めた事を心にすえ実践するのです。

作業をしながら、中村先生のユーチューブを繰り返し聞くこともあります。

もし、経典の内容がわからなければ わからないまま、 今できる最善を尽くします。 粛々と過ごすこと、 静かに波立たない心でいられれば 一人の時間はすごく楽しく安らかです。

 

 

 

下記はウィキペディア、引用 サーリプッタの考える道順 編集 真人

・正しくさとった人のすべてが通ってきた道順は、

五つの蓋[25]を捨て去って、

心の煩悩を明らかに知って、

四つのことを心に思い浮かべる修行(四念処)のうちに心を安立し、

七つのさとりのことがら

[26](七覚支)を如実に修行し、

無上のさとりを完成したということであった。

 

[27] また、最初の時期には五下分結についての解釈は一定しておらず、

死後に四悪道のいずれかにおもむかせる五つの束縛という解釈もされていた。

[28] 〔25〕 五蓋の内容は、心の煩悩を明らかに知ることと、

四念処 (身念処 - この身体は不浄である、

受念処 - 感受するものは苦である、

心念処 - 心は無常である、

法念処 - すべての事物は無我・非我である)を合わせたもの。

 

ブッダ最後の旅』 岩波文庫P206注30 中村元 〔26〕

 

七つのさとりのことがらとは、

択法 教えの中から真実のものを選ぶ、

精進 一心に 努力すること、

 真実の教えを実行する

喜びに住すること、

軽安 心身を軽やかに・快適にすること、

 対象への囚われを捨てること、

 心を集中して乱さないこと、

 おもいを平らかにすること、とされる。

 

ブッダ最後の旅』 岩波文庫P250注96 中村元

ブッダ最後の旅』 岩波文庫P206注30 中村元 ^ 三界説はダンマパダやスッタニパータの中にも出ていないが、五下分結、五上分結の観念はおそらく成立していたと考えられている。三界説が成立したのは、かなり遅れてのことであるとされている。『ブッダ 神々との対話』岩波書店1986年P228 第1篇第1章第5節の注2 中村元

やる気が出ない時は、心をこめない行動

今週のお題は、やる気が出ない、

という事ですね。

そんな時は、やらずに済むものは

思い切ってしないと決める

やらなければ通らないなら

さっさとやり、終わらせてしまう。

やる気が出ない事に自分を責めたり、

落ち込む時間がもったいないからです。

さて、やる気なんてなくても

心は込めず「行為」はできる、と考えます。

家事など、休みなしに発生するあらゆる細かい仕事にいちいち「やる気」を起こしていたら、それこそ疲れます。

せいぜい、重い腰が上がらない時の、

工夫。とでも言いましょうか。

5つあげてみます。

1ライトを変えてみる

明るくするか暗くするか、お好みで。

2音楽を聴く、あるいは聞かない

集中できる方で♪

3香りを楽しむ、あるいは換気

香りは好みが分かれますね、

無い方がいい方には「換気」。

リフレッシュするかも。

4嗜好品やお茶

飴やガム、お茶を飲んでみる

気楽に、気分が早く変わるかも。

5仕事を終えた時の気分を想像する。

気重に思うことはなぜなのか気にせず、

もし終わったならどんな気分になるのか、を想像する。それなら早くやってしまおう、と思えるかもw

人は感覚が自分好みであればずっと続いてほしいものです。

やりたく無いことは(やる気が出ない事は)

やるべき事だったりします。

だから心をこめずにやってみる、

やりだすと、なんだ簡単じゃないか、

などと、

やりながら、作業する感覚を得る。

という、流れに身を置く事になりませんか。

やる気スイッチが、

入っていれば十分ですし

心をこめずに終わらせる方法もありです。

結論、心をこめずにやってみる

でした。

やる気が出ない時は、心をこめない行動

今週のお題は、やる気が出ない、

という事ですね。

そんな時は、やらずに済むものは

思い切ってしないと決める

やらなければ通らないなら

さっさとやり、終わらせてしまう。

やる気が出ない事に自分を責めたり、

落ち込む時間がもったいないからです。

さて、やる気なんてなくても

心は込めず「行為」はできる、と考えます。

家事など、休みなしに発生するあらゆる細かい仕事にいちいち「やる気」を起こしていたら、それこそ疲れます。

せいぜい、重い腰が上がらない時の、

工夫。とでも言いましょうか。

5つあげてみます。

1ライトを変えてみる

明るくするか暗くするか、お好みで。

2音楽を聴く、あるいは聞かない

集中できる方で♪

3香りを楽しむ、あるいは換気

香りは好みが分かれますね、

無い方がいい方には「換気」。

リフレッシュするかも。

4嗜好品やお茶

飴やガム、お茶を飲んでみる

気楽に、気分が早く変わるかも。

5仕事を終えた時の気分を想像する。

気重に思うことはなぜなのか気にせず、

もし終わったならどんな気分になるのか、を想像する。それなら早くやってしまおう、と思えるかもw

人は感覚が自分好みであればずっと続いてほしいものです。

やりたく無いことは(やる気が出ない事は)

やるべき事だったりします。

だから心をこめずにやってみる、

やりだすと、なんだ簡単じゃないか、

などと、

やりながら、作業する感覚を得る。

という、流れに身を置く事になりませんか。

やる気スイッチが、

入っていれば十分ですし

心をこめずに終わらせる方法もありです。

結論、心をこめずにやってみる

でした。

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初出掲載:2019年6月28日