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引越しのための断捨離

10年で変わったこと、変わらなかったこと

 

久しぶりの更新です。

夏から秋にかけて、一人暮らしの父の事で

包括と父の実子さんたちに、ゆだねる段取りになりました。

これまでに紆余曲折ありましたが

父との距離、我が家からできる事でサポートさせて頂く。

ようやく着地点にたどり着きました。

 

父の事では、私の家族にはいろいろと迷惑をかけた1年でもあり、

その度に”家族とは” 有難いものでもあり、

時に 独断では身動きできず ”大きな壁”にもなりうる、

葛藤の日々でございました。

 

折に触れ、高齢の両親を見るにつけ、果たして自分の老後は?

先の事はわかりませんが、身辺ごちゃごちゃよりはすっきりとした老後を、

と思います。

両親の事では、夫と口論になりながらも、

凝りもせず身を寄せ合い、支え合っていた10年だった、

と振り返ります。

 

10年で価値観などはガラリと変わります。

大きくは、例えばコロナ禍を経て、もう以前の様には暮らせない、

もちろん変わらないものもありますが、それは表面上、そう見えるだけで

変わらないものなどありません。

(少なくとも仏教徒はあるがまま捉えること、

無常はせまってくるようで、抗いもしません、ね。)

 

いつだったか、夫は記憶の片隅にもない、と思いますが、

【ゼロで死ね】という本について語り合ったことがあります。

 

この本は要約を見ただけで、熟読したわけではありません。

本を読まない夫が、珍しく本の内容にかぶせたように、

夫に大きな心境の変化があり、我が家はとうとう引っ越すことになりそうです。

引っ越す理由の第一に家での、夫のワークスペース

その他もろもろあるのですが、

 

・自宅から仕事ができるように。

・ゆくゆくは生活をワンフロアで。

・インドア派の、withコロナ暮らし。

これらが大きな理由です。

 

引越しには多大なエネルギーがいるので、私はめんどくさいからいやだ、

と、猛反対しました。

要するに、ミニマル傾向へは挑戦したい、と考える私と夫の要望は違い過ぎでした。

夫の意見は【ゼロで死ね】のように、ある程度老後の蓄えは残しつつも、

お金を残す事だけが俺のやりたかったことじゃない。

自分の夢にお金を投じて死にたい、という

夫の意思は変わりません。

 

夫は、自分の夢をかなえるべく、平屋を探したり、マンションも便利か?

などと物件探し。

夫は、はじめは【妄想ぐらいいいだろう】と言いながら、今の家のローンを完済。

夢の実現に向けて、本気モードです。

家族を巻き込み、私もその変化について行かざるを得なくなりました。

もっか、引越し前の、片付けの日々。

はかどる日もありますが、夫の未来設計は、

耐えられないほど迷惑にも感じます。

何年振りかで口唇ヘルペスになりました。

住まい拠点を変えてまで、夫が叶えたい夢。

それ、私はしんどいんですけど、と正直に伝えることにしています。

 

いくら夫の夢でも、そのテンション疲れるよ、と。

例えば、ワークスペースがほしい、と言っても

それって長く見積もってあと10年(定年までの年数)ですよね。。。

 

別段、当然ですが夫と私はこの10年で、

価値観・思考パターンは変わっています。

お互い心の変化をやんわりとごまかしていたのかもしれませんし、

ケンカを避けて過ごしていただけ、かもしれません。

夫の夢。良くも悪くも夫婦のガチ対決、対話をせざるを得ません。

 

しばらくは、雑多な断捨離ネタや、夫のこだわりへの愚痴、

になってしまいそうですがw

先週はCD、DVDの整理。たくさん捨てました。

先月もいろんなものを片付けたんですが、

ヘルペスになるほどストレスを溜めていた自分。

(私の方こそ自我を張ってしまい、いやだなぁ。そんな日々です。)

 

 

片付けてスペースが空く。要らないものがいつのまにか家中に。

かつては必要だったけど、もうこの先は使わないのかな、など。

50代になった夫と私。家族の持ち物、心の変化にフォーカスして

捨てる、保留、リサイクルに分別。

着手する前、ちょっと勇気がいるけど、片付け終わるとスッキリ。

それが唯一のご褒美です。

 

 

 

 

 

落ち込んだときは水を浴びましょう: 波羅蜜を積む生き方

4月から今日まで、つらい時期を乗り越えました。

感情に流されないように、悪い思考がわき起こる時

瞑想をしても、失敗ばかりだったので、読書という方法を取りました。

スマナサーラ長老だけでなく、テーラワーダのお坊様の本は

片っ端から読みました。

 

 

ミャンマーのお坊様のこちらの本は、語り口が優しく、

ささくれだった心にしみました。

なぜこんなにも複雑になってしまったのか?

冷静を保つのは、この時期は大変なんです。

両親の、介護に関わる手続きがあり、人間関係の軋轢。

誰の援護もないのはさすがに堪えます。

親族と言うものは、ほとほと厭離に感じます。

母が慢性病になった、

父が足腰が弱くなった、認知も。。。。となると

急に連絡が取れなくなるんですね。

 

世間での責任を果たすうえで、頼りは夫と包括でした。

心をととのえるのは、テーラワーダが伝えるお釈迦様の教えでした。

 

著書はただのなぐさめではなく、厳しくも優しい、

日々の実践方法が詳しく書いてあります。

疲れた心が戻ったら、瞑想で心を落ち着かせました。

怒り、憎しみはどうしてもおきてしまう。

わたしは怒っている、と受け入れる。

本を読む

耐えかねて泣き。

。。。やがて少し冷静に。

感情に名前がつかない、

整理できない気持ち。

もう少しがんばってみようと、切り替わる

慈悲の瞑想(短縮バージョン)

その繰り返しでした。

 

まとまりませんが、最悪の状況から

落ち着いて取り組めば、なんとかなった。

という経験でした。

 

 

 

ブッダ脳のヒト

レビューは気にしないで読んでみました。

脳の、「前頭葉」の部分が

人間の道徳観と深く関係している説明(書き出し)に

興味を持ちました。

仏教を軸にして瞑想をする人には、

こういうアプローチは

(自分の修行において)たまには力を抜いて

広く視野を持ってみるのもいいと思いました。

何よりも個人的に、この著書によって

私は母の事を理解できるようになりました。

母は、バイクの事故の後遺症で半身が麻痺になり、

まるで別人のようになってしまったのです。

母が受けた脳の損傷は、前頭葉部分もあって、

それで人格が変わってしまったようになったのか。

長年、別人格のようになった母を、

受け入れ切れていない自分にも気が付きました。

 

母の性格が変わったのは、多量の輸血が影響している、

と聞かされていました。

何年、その悲しみを持ち続けてきたのか。

しかしこれを読んでからは、

母がどんなにわがままを手紙に書いてきても、

捉え方が冷静になりました。

 

 

繰り返し著書の中で引用がある、フィニアス・ゲイジの事故の例は、ウィキをよく読むと、事故後に人格が暴力的になったとは、かかりつけ医の供述ではかならずしもそうではない、という文献が見つかったりして、調査の正確さは期待できないとする書き込みがありました。

 

本を読む前と、読んだあと、考え方や物事の捉え方が変わる、ということは

あまり珍しくないかもしれませんが、自分にとっては、長年のネガティブ感情や

不幸な出来事としか捉えられなかった、くすぶった思考を、取り去ったようなスッキリとした気持ちに変わったので、ブックレビューは人それぞれにちがうものだ、と思いました。

とにかく、母にやさしくなれる、わがままにも腹が立たなくなった。

それはわたしには影響が大きいのです。

この本に出会えてよかったです^^

 

 

食事の観察2

www.youtube.com

 

 

テーラワーダ式の食事瞑想を知る前に

私は更年期太りのダイエットをしました。

1年ほどかけて7kgやせました。

その時に献立記録を細かくつけていました。

カロリー計算と栄養バランスを気を付けることにしたのです。

・時間をかけて食べること

・バランスよい献立

・自分が足りる量を知る

・上記のデータをとって、その量を守る(自分は80回ほど、食べ物を口に運ぶと、食事量としては満足がえられる)

 

そして食事内容の記録は、ほぼ習慣化できました。

始まりは、メタボ解消のためだったのですが、

高齢両親と向き合うのと、拠り所にするお寺選びをするうちに

偶然、YouTubeスマナサーラ長老のお説法に

たどり着いたのです。

両親のためのお寺選びについては、過去ログにあるので、

きっかけの説明には十分かと思います。

 

www.luna-drop.com

 

 

www.luna-drop.com

 

 

さて、食事瞑想は、テーラワーダ式では45分かける、というもの。

自分のデータでも、献立によってばらつきはあるものの、

腹八分目でも十分満足をえるならば、45分かけて行う意味は

(それを一日1回、やる意味は)いったい何なのか?

という話をします。

 

マインドフルネス イーティングでググると、

さまざまなサイトにアクセスが可能です。

自分にあった食事瞑想をすればいいと思います。

私にとって食事の瞑想は、

「動きに集中すること」は、

こんなにも難しい事!!なんですね。

まだ、そんな段階なんです。

これを、あらたに習慣として取り入れるのだから、

それなりに自分が変わること、を目的にしています。

 

では、どのように自分が変わればいいのでしょうか。

仏教的には、人格者になるため、というらしいのですが

それはちょっと今の自分には響きません。

それよりも、「冷静な態度」なら、

自分はある程度アウトプットできるようになりたいです。

一番しんどいのは、「人間関係」です。

以下『人間関係』とは「他者」と言い換えますが、

他者とは程よい距離を保ち、

他者に自分の役割が自然に果たせる、

そんな人間になりたいのです。

 

今の段階で、食事瞑想の効果はこうです、と言ったところで

こちらをご覧頂く方にはなんのお役にたてるかはわかりませんが、

変化はあります。

 

例えば、人と接するときに、すごく気を付けるようになります。

自分の態度がどういう因果法則を生むのか?

という風に過ごすようになります。

今、の生き方の因果を、いずれ自分が引き受けることになるので、

「我慢」で人に尽くすことは馬鹿げているし、

だから自然に【自分にできることはこれです】という働き(行為)を、

心をこめずにやるのです。

心をこめないほうが、自分にはしっくりくるのです。

淡々と行えば、自分の心は疲れないのです。

その経験は、次の経験にもいい影響があるような気がします。

 

~夫婦の事~

しかし夫には、「心をこめない」ことや「反応しない・判断しない」態度を

すごく注意されました。

コロナ禍で、同じ屋根の下で夫と24時間一緒にいたら、

「心をこめない空気感」に慣れてもらいたいのですが、

「心を野放しにした因果法則」と、

「心こめずにさらっと流す因果法則」の違いは、

私の行い次第なのでしょう。

夫婦は空気のようにいたいものだ、

そう思います。

 

~両親との事~

ひとつ前の投稿には、両親の、子どもに対する期待や

愛着について書いたのですが、

例えば、両親と心を通わせるときに、

自分は両親に余計な反応をしない(判断しない)という、

リアクションをとります。

両親から何を言われても 気にしません。

という態度を取り、心にギャップがあるか、ないかを確認します。

気にしないならOK

気にする場合は、なぜなのかは追求しません。

気にするような事を言ったのは自分ではないからです。

それは、あくまでも両親の気持ちだ、と意識します。

すると、両親に対する態度はほぼ、冷静でいられるのです。

 

結果、母親から、お前は正しい事はやってくれても可愛くない

と手紙に書いてあっても

心は動きませんでした。

これは、母からは手紙で受け取るので、

私の感覚ではすごくマイルドに受け取れるのです。

 

一方、父親とはどうでしょうか。やりとりは電話の場合があります。

父親が期待するような態度を子どもがとらない、という理由で、

父親が怒る場合があり、(私にではなく、兄弟の場合でも快くはありません)

その時の反応として、母の事を引用して父に切り返しました。

父は母をかばい、私をフォローするような言葉がけでした。

電話でリアルタイムに受けた時に感じたのは、

鼻の奥がつ~んとして、

切ない気持ちです。

切なさとは、親も不完全なのだ、という洞察です。

「冷静になる」、「冷静で居る」という心の働きには、

いきなり機械的な反応が起きるわけではないんだな、とわかったのです。

 

大切な人間関係で、他者から何を言われても、

自分さえ「判断」をしなければ(余計な反応をしなければ)、

ただ流れていくだけです。

もし心が勝手に反応する場合、くしゃみ、みたいなものなんですね。

父との会話で、鼻の奥がつ~んとしたのは、くしゃみです、と言う風に。

 

因果関係を理解できない人々と、因果関係を理解して気を付ける人とは

「気づき方」がどうしても違ってしまうのだな。

たとえ短い時間であっても「心」を観察しだすと、

その事に無意識に過ごしていた生活は、

できなくなる

 

・・・のではないかな、という見解。

心に起きた変化(食事瞑想によって現れた変化)、

について書きました。

 

 

j-theravada.net

 

 

 

 

 

 

 

 

親の気持ち

親の気持ちを、わかっているようで

わかっていないものなんですね。

 

つい先日の、母からの手紙に、

母の率直な気持ちが綴ってあり。

 

【お前は、悪いことをするわけでもなかったし、成績もわるくはなかったけれど、なにか可愛くない。他の兄弟は、それぞれ素行の悪さや、成績の悪さや、道徳的にはずれちゃうことがあったとしても、なぜか憎めず、できの悪い子ほど可愛い。あのこたちはどうしてるの?】と言う内容でした。

 

父には父の、子どもに対する愛情の違いがあるようです。

電話で呼び出すときに、わたしが【もしもし、おとうさん?】と呼びかけると、

「〇〇ちゃん?」と聞くのです。

兄弟の中で、ちゃん付けするのは、3女にだけですから、

「あ、〇〇(私の名前)です、残念でした、お変わりないですか?」と切り出します。

親子げんかになっても、たとえ疎遠でも、他の兄弟が可愛いのです。

定期的に電話をする私には、遠慮のような、言葉にならない【遠い物】を

父からキャッチする。3女への親しみほど、私にはないかも。

このように感じるのは、私の妄想かもしれませんが。

 

コロナワクチンの案内を、父の住む町ではどんな進み具合なのか、親族と相談せねばならず、福祉に相談中なのですが、進捗状況を父に聞くと、「別に誰からも連絡はない」という返事の後は、父の期待通りになっていない不満がでるわでるわ。。。

また怒りのスイッチを入れてしまう前に、母からの手紙の話をしてみました。

「…そういうことで、おかあさんは、私を可愛くないんですって。他の兄弟は、手紙をよこすわけではないんだけれども、なぜか不思議にかわいいんだよ、それに比べてお前は、正しい事をやってくれてもね、可愛くないんだよ。ってかいてあったので、親には、他の兄弟には、愛情がどうしてもちがうものなのね、仕方がないね。」と、冗談ぽく言ってみたのです。

すると、父は、母の率直さにどうちょうするのではなく、

私をフォローするのです。

「その時はたまたまそう思っただけで、気にするなよ。」

「親は勝手にそう言ってしまう事があるけど、こだわらず、適当に流しちゃえ。」などと、他の兄弟への愛情のむけ方の不平等を、ごまかすのです。

わたしは、腹が立ったりしませんでした。

ただ、ちょっと鼻の奥がつ~んとして、目がうるうるとしただけです。

 

まとめると、親の期待する老後は、子どもはかなえてくれず、

悶々と不満をため込んでいる場合。

しかも親子間が不仲な場合、これはこんがらがった糸をほぐすのは大変なんです。

こんがらがった糸をある程度で整理して、これは片付かん、と見極めるのなら、

無理にほぐそうと思わず、こんがらがったままほうっておく。

大事なのは、機能しなくなった親の衰えを、どうサポートするか、なんですね。

介護サービスを使う、

家族でサポートする、

どれも拒否る場合は、地域包括支援センターも利用する。

そして誰かが理性的に、両親に変わって、家のなかの【政治】をすることです。

家庭には家庭のルールを、衰える前は親たちは親の考えで行っていたはずです。

ちゃんと地域住民の役割を担いながら、暮らしていたはずです。

まるっきり同じには引き継げないのに、親はもとの暮らしにこだわったりするので、うまくいかないんです。

なので、こらえながら家の中の「政治」を子どもができる範囲で取り仕切るんです。

政治ですから、家の中の予算などなど経済バランスを考え、暮らしを調える。

それが役割であり、もし、親の期待を100%答えられずに、支持率は低迷しても気にしない事です。

親には親の期待があって、もっとちがう政策やら、担当大臣だったら良かった、

そういうギャップはこれから先も続く?のかもしれません。忍耐です。

親の家の事まで理性的に仕切れる子どもはそんなにはいないものです。

めんどくさいけれど、自分の老後のために、きっと役に立つと気持ちを無理やり切り替えます。

親とのギャップは、うまくいったこともいかなかったことも、データとして

経験として役立てます。

 

南直哉先生の本、響く箇所がありました。

先生のお母様が、施設入所になった時期と

自分の母親も同じで、最近、お書きになる本には

「介護」について先生の体験を通したご意見は、

勇気になり、ブレずに受け止められるようになりました。

日本が抱える「闇」のようなもの

孤独について。言葉の選び方はドキッとさせられます。

しかし、押し付けはありません。

そしてわたしはこう受け止めました。

悟りは開けない、のあとに言葉があるように思います。

悟りは開けない、そのやり方じゃ。

とか

悟りは開けない、のあとに、ピッタリな言葉を入れて

本を読み終えました。

 

 

 

 

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初出掲載:2019年6月28日