シニア女性の「推し活」が増加中。
自分はシニアかどうか、50代半ばとは
なんとも中途半端。おばさんとおばあさんの中間、
いつまでも若い印象の方もあれば
所帯染みた印象の二極化!の残酷さを思えば
ドキドキワクワクしながら
母や祖母目線で「推し」を応援する。
その、心躍る感じが健康的になれたり、
行動や実行力に、転換されているのかもしれない。
自分にも好きなアーティストや俳優がいるけれど
わざわざ出かけていくほどのファンではない。
そういえば、ジャスティン・ビーバーが去年秋に来日コンサートは、中止になったけれど
チケットを買うか迷った。。。
でも、引越しは迫っているしコンサートどころじゃないだろうってことで
諦めたんだっけ。
その時に、自分にはなんだかいろいろと褪めてしまった感覚を覚えた。
特に人物には、のめり込むことがなくなった気がする。
その代わりに、刺激がない方が静かでいい。
日常は波立たない方が、心が動かない方が、すっきりとして
淡々とした感じが自分にしっくりくる。
視力は衰え、ますますポンコツになっていくだろう、なのに
日差し、出回る野菜、風。
生活の中で、ひっそりと自分を待ち受けていて
ぼ~っとしていたらおいてけぼりになりそうで
自分の推しは「季節」、そう宣言しよう。
もうすぐ立春で、2月2日は一粒万倍日です。
何か新しいことを始めたり
決心するのに良い日です。
料理や和装も、「季節」と切り離せない、
味わいや装いに季節を取り入れる事の幸せ。
自分がそこに浸っていても、罪悪感がないんですね。
料理も和装も、間違うことや失敗ってあるんですけれど
セルフで完結する割に、振る舞えたり高見えすることがある。
「腕を磨く」しかなくて、ますます精進。
完璧ってことはないんですね。。。
1月のみそか、振り返ってみました。
この何年間か、両親のことや家族を優先して、
頓挫した二十四節気のおもてなし献立、
今年はコンプリートしたいと思っています。
この世に虚しさがないものはないのに、
季節に騙されて急かされて、掃除。
料理や和装は背徳感を感じません。
相手が人間じゃないから、野菜がきれいに茹で上がって
耽美な果物を眺めたりしても、
季節はただ流れていくだけ。
↑小寒のおもてなし
↑大寒