親の気持ちを、わかっているようで
わかっていないものなんですね。
つい先日の、母からの手紙に、
母の率直な気持ちが綴ってあり。
【お前は、悪いことをするわけでもなかったし、成績もわるくはなかったけれど、なにか可愛くない。他の兄弟は、それぞれ素行の悪さや、成績の悪さや、道徳的にはずれちゃうことがあったとしても、なぜか憎めず、できの悪い子ほど可愛い。あのこたちはどうしてるの?】と言う内容でした。
父には父の、子どもに対する愛情の違いがあるようです。
電話で呼び出すときに、わたしが【もしもし、おとうさん?】と呼びかけると、
「〇〇ちゃん?」と聞くのです。
兄弟の中で、ちゃん付けするのは、3女にだけですから、
「あ、〇〇(私の名前)です、残念でした、お変わりないですか?」と切り出します。
親子げんかになっても、たとえ疎遠でも、他の兄弟が可愛いのです。
定期的に電話をする私には、遠慮のような、言葉にならない【遠い物】を
父からキャッチする。3女への親しみほど、私にはないかも。
このように感じるのは、私の妄想かもしれませんが。
コロナワクチンの案内を、父の住む町ではどんな進み具合なのか、親族と相談せねばならず、福祉に相談中なのですが、進捗状況を父に聞くと、「別に誰からも連絡はない」という返事の後は、父の期待通りになっていない不満がでるわでるわ。。。
また怒りのスイッチを入れてしまう前に、母からの手紙の話をしてみました。
「…そういうことで、おかあさんは、私を可愛くないんですって。他の兄弟は、手紙をよこすわけではないんだけれども、なぜか不思議にかわいいんだよ、それに比べてお前は、正しい事をやってくれてもね、可愛くないんだよ。ってかいてあったので、親には、他の兄弟には、愛情がどうしてもちがうものなのね、仕方がないね。」と、冗談ぽく言ってみたのです。
すると、父は、母の率直さにどうちょうするのではなく、
私をフォローするのです。
「その時はたまたまそう思っただけで、気にするなよ。」
「親は勝手にそう言ってしまう事があるけど、こだわらず、適当に流しちゃえ。」などと、他の兄弟への愛情のむけ方の不平等を、ごまかすのです。
わたしは、腹が立ったりしませんでした。
ただ、ちょっと鼻の奥がつ~んとして、目がうるうるとしただけです。
まとめると、親の期待する老後は、子どもはかなえてくれず、
悶々と不満をため込んでいる場合。
しかも親子間が不仲な場合、これはこんがらがった糸をほぐすのは大変なんです。
こんがらがった糸をある程度で整理して、これは片付かん、と見極めるのなら、
無理にほぐそうと思わず、こんがらがったままほうっておく。
大事なのは、機能しなくなった親の衰えを、どうサポートするか、なんですね。
介護サービスを使う、
家族でサポートする、
どれも拒否る場合は、地域包括支援センターも利用する。
そして誰かが理性的に、両親に変わって、家のなかの【政治】をすることです。
家庭には家庭のルールを、衰える前は親たちは親の考えで行っていたはずです。
ちゃんと地域住民の役割を担いながら、暮らしていたはずです。
まるっきり同じには引き継げないのに、親はもとの暮らしにこだわったりするので、うまくいかないんです。
なので、こらえながら家の中の「政治」を子どもができる範囲で取り仕切るんです。
政治ですから、家の中の予算などなど経済バランスを考え、暮らしを調える。
それが役割であり、もし、親の期待を100%答えられずに、支持率は低迷しても気にしない事です。
親には親の期待があって、もっとちがう政策やら、担当大臣だったら良かった、
そういうギャップはこれから先も続く?のかもしれません。忍耐です。
親の家の事まで理性的に仕切れる子どもはそんなにはいないものです。
めんどくさいけれど、自分の老後のために、きっと役に立つと気持ちを無理やり切り替えます。
親とのギャップは、うまくいったこともいかなかったことも、データとして
経験として役立てます。
南直哉先生の本、響く箇所がありました。
先生のお母様が、施設入所になった時期と
自分の母親も同じで、最近、お書きになる本には
「介護」について先生の体験を通したご意見は、
勇気になり、ブレずに受け止められるようになりました。
日本が抱える「闇」のようなもの
孤独について。言葉の選び方はドキッとさせられます。
しかし、押し付けはありません。
そしてわたしはこう受け止めました。
悟りは開けない、のあとに言葉があるように思います。
悟りは開けない、そのやり方じゃ。
とか
悟りは開けない、のあとに、ピッタリな言葉を入れて
本を読み終えました。