両親の晩年に何の苦労もなく
平然と見送れる肝も智慧も兼ね備えた方には
ここをご覧頂くのはお恥ずかしい限りですが、
人間の晩年、あるいは『死』の管轄は
ゆかりのお寺があるのならそちらに相談事が増えるのは
自然と思います。
自分の両親のゆかりの寺、らしきものがない場合は
いろいろ話し合えたとしても
『死』に向き合うのは親も子もしんどいです。
親にとって
『死』が目の前に迫るのは、想像に絶します。
だので、どんな心の状態なのか、よく観察します。
日に日に老いてゆき、弱くなり、
幸福感とは無縁のように思えますが
父は冷静で『あきらめて』おり、
『もう、かまわんでくれ。』と言うのです。
そう父がいう時には切なく、苦しく、自分に刺さる言葉です。
それ以上に、父はもっと切なく、苦しいのだな。
そのように観察し、仏教の得意とする
『理性』や『慈しみ』を頼りにしています。
そのような反応も自然ではないでしょうか。
厳しく的確な道しるべ、終始、理性で書かれている文献を
無料で拝読でき、弱い心を振り返ります。
以下、書庫の備忘録です。
業について、深く理解をしている方には、
当方の本のレビューはほとんど役には立たないと
思います。
心の暴走や
妄想をやめる、事はできました。
その程度のログです。
興味のアル方は読み進めて下さい^^
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長老の著書には、この数か月、読み漁って知識は蓄えました。
いよいよ父の最晩年に、自分は何ができるのか実践の時です。
人の死に向き合う時に、他には手が回らない、余裕がなくなる、
それでよいという見解を得て、気持ちが楽になりました。
以下、kindle unlimitedのライブラリより。
その人のできる範囲で仏教的実践を試みる本,ご紹介。
どのページから読んでも良い、
心に響く原因はなんでしょう。
ていたらくな自分に克!
原訳『法句経(ダンマパダ)』
思考の整理、理性の思考とは?
性格判断を仏教的に考察。新鮮で深淵。
こころの成長度で、自分の性格が変わっている可能性はある。
できる人、という概念を覆された本
社会に出て、人生の選択を続けてきた結果(恩恵)を味わう時。
恐らく最初は両親から、そのあと学校や社会生活で培った【道徳観】は 【マナー】程度にすぎない、と思った本。 人生の帰路に読むべし、とライブラリにある一冊
目下、自分の立場では、親の悩みがない人をうらやましいと感じ、 仕事の能率が下がる時、思考の整理に役立ちます。 人を羨む暇があれば、自分の努力にあてる、という思考になれた。 お坊様にも【ねたむ】気持ちはある、悟った人に至るまで、 心の観察(瞑想)は大事だと、厳しくも優しい教え。 羨んだり、ねたみから自由になれる実感(また妬みは現れるかもしれんが、) 自分の心を過信しない事に役立つ本。
自分は粘り強い、という暗示。 暗示ではなく集中だったら尚良い。 集中は脳に歓びを与える。 その道のエキスパート質の努力や修行、研究を苦労と思わない、むしろ探求心と、集中力で 喜々としていたり、若々しい事に納得する。 やりたい事以外に、むしろやりたくない事に集中したらどうだろう? 高齢の両親との限られた時間にも、集中。時々読み返す。
これは仏教書なのか?と思うほど、長老が意識して 日常で浸透している名詞や言葉を使って説く。 仏教色はポイントで効果的に示すだけで、 本屋さんで、自己啓発本を選ぶテンションで読める。 奥深いところで、仏教が普遍的・理性的な方法論を示していることに 腑に落ちる。八正道を八つの脳開発プログラム、と表すあたり。 自己啓発が好きな人におススメ。
人とのあつれき、世間とのズレ、孤独を静かで平和な環境だと思う事など、 誰からも明確な答えは得られない事に、仏教は道があると示す。 最初から暗いし厳しいのは、長老の著書の特色だと思うようになってきた。 後半の、自助努力・研鑽あってのみ【ありのまま】を捉えるようになる、鵜呑みにするなよ、と説く。 仏教の【ありのまま】とは、ちまたで言うカジュアルさや、ゆるっとした愛嬌の事ではない。 人間は必ず死ぬ、その事をごまかしたり、オブラートに包んだりしない事だ。
わたし、わたし、そんなものはありません。 わたし(自我)は錯覚と説く仏教。 わからない境地はあるものだ、 だとするとそれを目指す人のおっしゃりを 紐解いてみたい、そんなレベルの自分にも 何度か読み返すと印象が変わる本。 仏教が深遠な事、それがわかっただけでも しあわせだと思う。
読み手の心の成長にあわせて読む。 わからない事が多かった。 落ち込むことなかれ。 50歳過ぎて、鍛錬することを歓びとするならば名著と思う。 無我を憧れの境地とするならば、 まだまだ原始的な心をどう育てよう。
難しいレベルから、一旦落ち着こう。 できることはなんなのか。 できていると思っていたが、もっと丁寧に。 心を探って、育てる事。心のメンテナンスを外注はできないと心得る。 慈愛は人間にしかできないとおっしゃり、 そうであっても原始的な心のまま死ぬのが人の一生だと。 輪廻はこりごり。。。少しでも心を成長させよう。 母と手紙の交換は、【慈悲の瞑想】の事を書く。 老いても、慈悲の心は育つ、その人の研鑽次第。
ユーモアさえあれば。 七難は隠せるかも。 もう十分に心得たと言えず、 また読み返したくなる1冊。 お釈迦様の時代のユーモアが 現代のユーモアに通じるのか? 自分の稚拙な疑問にも応えてくれる。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
(投稿はしばらくお休みします。)