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道徳とはスーパークールな生き方

はじめに主観的記事になってしまうことをお断りしておく。

人は自らの道徳観で人生が彩られる、

って思ったことを書こうと思う。

親から受けた恩は返しきれない、ただしかし親の負の部分

敢えて切り込んでみる。

 

私が50数年生きてきて

両親から教わった道徳というのは

もしかしたら「お行儀」程度だったのかもしれない。

父も母も非道徳な生き方ではなかったし、

昭和あるあるだとは思うが

親の言いつけを守らなかったら体罰は当たり前で、

親は体罰を「しつけ」だと言っていた。

そんな風に痛い思いをしなくたって、わかるのに!

体罰を受けるこちらとしては思ったもんだが、

怒られたくなければ悪さや親が戒めることを守った。

おかげで大恥をかいたり、ひとに迷惑はかけまい、

と言う事は守って生きて来られたと思う。

しかし、仏教で示す『道徳』はもっと崇高なものだ。

しかも体罰や、命令ではない。

自ら、欲から(執着から)離れるってことと、

自我を抑えることで身につく生き方のことだと心得た。

こういう捉え方で合ってるのか、仏道の先達さんからみれば

『まだそんなレベル?』と笑われそうだが、私にとっては

(大きなわだかまりだった)執着をひとつ捨てることができたのだから、

この、軽くなった気持ち、清々しさをどう表せばいいのか。

今まで、味わったことのない気分で、

長い時間をかけてパズルが完成した時のような

欠陥部分にぴったしおさまった感覚だ。

 

 

トラウマ

先日読み終えた、『出家の覚悟』では

南直哉先生が、生きづらさを抱える人には

何かしら親子関係で、トラウマ要素があると言う点で、

長老も同感しておられ、いかにして人間形成していくかは

とかく人生は世知辛いものであることに対して

何とか乗り越えられるか、はたまた悪循環の方へ転がるかの

決定打(一因)になりかねないと懸念する。

それほどにも、親から教わってきたこと、学校時代(先輩、同輩後輩とのあつれき)、

社会にでるまでに、どんな風にしつけられ、人間関係のあつれきに程よく距離をおけるかで、『トラウマ』になってしまった人の人生はけして明るくない。

不幸な場合は立ち直れないほどにまで影響するって事だ。

長老が言っておられたが、絶望した人、自殺したい人は

特別な言語を語るという。

私はその言語の事はわからないが、その人たちを救いたくても救えなかったやりきれなさについても、仏道は『死』を理性的に扱う仕事とおっしゃるところに、感銘をうけた。

絶望感にさいなまれた人の危うさは、私も覚えがある。

自分の生活を支えるのがやっとの半端な私に、絶望した人を救えなくて当然。

だったのだ。なぜ救えなかったのかって言う事は今後は考えまい。

この本に出会えて、『救えなかった後悔』を捨てる、に至った。

 

 

体罰を抑制したゆとり教育の結果

私が親になる頃には、体罰は社会的に許されない気運に変わっていた。

それはちょっとは人間が進化した事のようにも思えるが

未だに暴力やいじめ問題は親子・学校では事件事故のニュースは絶えないし

家庭という子どもが最初に身を置く小さな社会で『暴力』を受けた場合の、

危うさを誰が修正するのか。それは本当に難しいしややこしいし悩ましい。

しかし、もしその問題を引き起こさないように、家庭では『自我』に気を付けてしつけられたら、親も子も成長できるし、そのように育てれば子どもがやがて社会に出る頃には、何かしら社会に役立てる人間に育つのではないか?

要するに、厳しい体罰はいらない。

しかし親は子供に

『自我を張らないようにしつけるべき』

という事だ。

 

 

 

 

 

ここから先は極めて主観が強い、駄文です。

自分が親になってみて

前述のように指針があって私は子育てはしたわけではないが、

巣立っていった長女を思えば、如実に結果がでている。

体罰は良くないとされる世の中で、ゆとり世代で育った彼女らは

繊細で優しく、大体はまじめだけれど、『心の問題』に脆弱な部分をひた隠しで生きているように思う。メンタルバランスが自分で調えられない人間を、メンヘラ、と言うようになったのも、長女の思春期頃に生まれた言葉だと思うが、違ってたらごめんなさい。

 

生きて行く中で、身体は五体満足でも、心に脆弱な部分が多かれ少なかれあって、補ったり修正軌道にもどれるかは、どんな人と【縁】でつながれるか、まるで博打みたいなんである。もし不幸にも、道を誤ったまま、メンヘラはメンヘラでしかないってことでどんどん孤立化。もともと不安定な彼らは引き寄せ合う。悪いものは悪い物の吹き溜まりになっていき、そのうち大きな事件になって社会で表面化する、ように思う。

 

厳しすぎも緩すぎるのもダメなんだな

私たちの親世代は、戦争経験者を親に持つ。

だから封建的な育て方がありありと残っていた。

道徳観は家の恥にならないよう、それは社会の恥となるからと、

体罰は当たり前だった。

そう言う閉塞的な威圧感は、家庭内で一定の統率はあるものの

人格を育てる『道徳教育』とはかけ離れている。

だから、私たちの親は今では年老いて、

子どもとその権威逆転が起こり、

本当には『慈愛』が身についていないゆがみが、結実したことを味わうのである。

それほどまでに『道徳観』はけして見過ごすことができない。

日常に正しい道徳をすえられれば、

それなりに穏やかで落ち着いた人生が結果として出せているはずだ。

このように今、年老いた父も母も哀れである。

厳格に、家の恥?とやらをさらさないで生きても、愛別離苦の執着を手放さない。

親の体罰で泣いた私たち世代が気を付けて、体罰はしないで

しかし、『奔放な自我』を可愛いがために許して育ててしまった結果、

長女は仕事はまじめだけれど、プライベートはわがままである。(メンタルは弱い方)

 

道徳を仏道から学びながらの今

幸か不幸か、次女は11歳年下で、今まさに自我をどうコントロールしていくかを

次女自ら問う年頃になった。

次女よ、君に言おう。自我より道徳だ。君は何としても道徳を求めて生きよ。

そうすれば、君は君の人生でスーパークールな成果を味わえる、だろう。

君のその、亜インテリジェンスなセンスと、

君が親より道徳的な事を、私は今まで生きてきた『恩寵』だと思う。

たったこれだけを知るために生きてきたと言っても良い。

道徳的な生き方は、スーパークール。これに尽きる。

 

 

 

 

 

 

 

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初出掲載:2019年6月28日