母が入所して8か月経って、
父と母の暮らしは大きく変わりました。
父と母がお互いに以前の暮らしに戻りたいという、
未練や執着に、親族はどう対応すればいいのでしょう。
誰も両親を説得できません。
先日、施設からの電話で、落ち着いてきたかと思っていた母が、父に『タクシーで迎えに来てほしい、』という内容のハガキを書いた事で相談があり、私がとった対応策は、
お釈迦様のお経をコピーして送った、という備忘録です。
父や母を説得する、というのは
軽い相談事でさえ難しいものです。
ましてや長く連れ添った夫婦の、『愛着を断つ』とは、
娘に諭されても面白いわけがありません。
85歳を超えた父、母の骨折を機に要介護4の母の介護は限界だと、
施設入所を勧めた私と、
父や母とは何度も話し合いがこじれ、口論になり
こんがらがった意見に親族も疲弊しています。
私の不徳の致すところ、誰の協力者も今ではありません。
施設からの客観的で現実的な意見をもとに、
両親をどうやって励ましていくか、お釈迦様の智慧を実践しております。
今日、リンクさせて頂くサイト様は
パーリ語のお経読誦と日本語訳、
中村元先生の日本語訳である著書の紹介をなさっているので、
是非にそちらを参照して頂ければ幸いです。
特養に入所の母は、4人部屋なので
好きな時間に読誦することはちょっと無理なんですね。
しかし、お経の(日本語訳の)黙読ならできる、と思ったんです。
箭経(日本語訳)のコピーは
以下のように作りました^^;
①ブッダの日常読誦経典(箭経のページ)をコピーする。
②台紙代わりの包装紙と重ねる
③ラミネートする
④ラミネートをカットして角を丸くする
⑤リングとタッセルをつけて出来上がり
中村先生のスッタニパータの読誦が聴けます。
1時間23分あたりから、第3章 『矢』は箭経の内容です。
悲嘆と愛執と憂いという煩悩を、『矢』にたとえる中村先生の感性に脱帽です。
淡々と、粛々と読み上げる内容に耳を傾けておりますと
比類なき完ぺきな『さとし』であると、力が湧いてきます。
およそ七分のお経ですが、6分過ぎあたりから、丁寧にゆっくり読み上げられます。
長老の、節のあるお経は本当に素晴らしいです。
そして中村先生の日本語訳との読み比べも贅沢な時間です。
私のような凡夫にも理知に触れることができますから
有難い事です。
スッタニパータを詳しく紐解いて下さる先達さんが、
たくさんいらっしゃることがわかるのも心強いです。
もはや、協力者はいないなど、落胆するのはバカバカしく
思えてきます。
以下にリンクです。
果たして両親は、悲嘆・愛執・憂いの(煩悩の)矢を、
自ら抜くことはできるでしょうか。
私はそのことに期待も楽観もせず
両親の姿をありのまま『老い』について学ばせてもらっているのだと進みます。
生きとし生けるものが幸せでありますように。