私は長い間、晴れない気持ちがあって、
それは仏教に出合って、【厭世観】というものだとわかった。
何をやっても気が晴れないのは、
ごまかすか、適当に受け流すしかなかったのだが。
時々、心が晴れ晴れとするのは
【掃除】を徹底的にやったとき、
【物を捨てる】←何かから離れたとき
心なしか生ずる軽さのようなものがある。
この年になって、やっと自分の中の【厭世観】に向き合う覚悟ができた。
同時に大きなチャンス、社会的な誘いがあった。
自分の得意分野で、大きな組織から誘われたら
ちょっとどころか、とても興味があるのだが
丁重にお断りした。
先日、SNSの断捨離をしたばかりではないか。
自分には『林住期』が訪れていて、社会とは
少しずつ離れていく事が自分にとっての理想。
自分は毎朝の、お供えの時間が好きであり
家事や掃除している時間は、厭世観に巻き込まれない。
作務のような日常、その清々しさは
誰に遠慮があるものか。
毎日、回向してよいのだから私はこれからは
凡夫のボヤキではもうしわけないので
お供えのこころはけして無駄にはならないという、
ありがたいお説法のリンクをつけて
終わりにします。