日めくりカレンダーの一言が、
心は悪魔のすみか、
ということで
長老のお説法を読みました。
不浄随観の瞑想は、やったことがないので
よくわからないのですが。
母の体の機能を思い出せば
母は自分で 排泄ケアや入浴も
施設の方の介助なしに暮らせません。
生きるために食事をする、それは自分で食べられるのですが
排泄は手伝いなしには無理、お風呂もです。
父はどうかというと
排泄や風呂は一人でできますが
ものすごく用を足すのに時間がかかります。
風呂は転倒を怖れて
あまり入らない、一週間に一度くらいらしく、
【汚れないからいいだよ】と自分判断しています 笑
父を見て、高齢になるとこうなんだな
重度の障害がある母を見て、
排泄の事を他人にしてもらうのはすごく恥ずかしいよね
と思います。
父や母は自身のからだをどう思ってるかは
私にはわかりませんが
私が父や母の立場なら
【最後の身体】って思いたいです。
不浄随観は母と父が教えてくれます。
生きとし生けるものが幸せでありますように。