人は絶対に死ぬのに、その事をあまり考えないようにするのはなぜでしょう。
祖父、祖母。年長の親戚の人が亡くなり
知り合いの中には40代、50代で亡くなった方もいます。
連休はお彼岸でもあるので、墓参りの方がいらっしゃるでしょう。
これまでに私にとって道徳は、両親から教わったことが始まりで、
結婚してからは夫や夫の両親の価値観にも沿うように生き、
子供が産まれたら自分がまずは手本となり、時には子供から教わる事もありましたが、
あっという間に平均寿命で言う、人生の半分は過ぎてしまいました。
『いつかは死ぬこと』に明確に、科学的に、理性的に、論理的に私が理解できることもできない事も教えてくれたのは初期仏教です。
コロナ禍にあって、こころの時代がやってきました。
ついに私は自由に仏教を学ぼう、そんな境遇(年齢)に立てたのです。
高齢の父や母を、どうやって励まそう。
わたしにできる事はなんなのか?
『老い』について、私より先達の両親が、なぜ悩むのか。
心配するのか、怒るのか、執着するのか。宿題は山積みです。
理性、論理的、無理なく、無駄なく伝える事はできるでしょうか。
その問いにはすべて、お釈迦様は『実践あるのみ』と涼やかにおっしゃるのです。
両親の悩みなのだからどうすることもできないよ、と
弱い心なら私の得意であります。
しかし、乗り越えた先達さんがいらっしゃるのであれば、
智慧を仰ぐしかありませんでしょう。
h-kishi.sakura.ne.jp江原先生と聞き手の、美しい日本語のやり取りにふれられるだけでも、
エレガンスに浸れます。
同じ女性として、在家でありながらここまで洗練の心になれるとしたら、
初期仏教とはどういうものでしょうか。
初期仏教は学問としても、成り立ちます。
ご紹介するYouTubeの、中村元先生の講義は比較的短いものです。
お人柄や上品な語り口はうっとりと聞き入り、時間を忘れます。
中村先生の著書
ありがたいことに、先日、YouTubeで朗読してくださるチャンネルを見つけました。
母は、父の墓には一緒には入れない事情がありますので、
母の心の拠り所として、私が母にすすめるのは初期仏教でございます。
父にも母にもそんなには時間が残されていません。
じっくりと本を読んで、宿題にひとつひとつ取り組んでもいいですし
家事をしながら朗読を聞いて、智慧に預かっても良いのです。
集中さえできれば誰の邪魔されず心を磨くことができます。
2600年前のプログラムが現代でも通用して
あまねく人々の、すべての悩みに答えてくれます。
両親の人生は、ファンタジーじゃありません。
人生の終盤の両親と、ちゃんと向き合える人間におなりなさい。
両親がそのように私に宿題を与え、半人前が成長できるんでしたら上記にご紹介した先達さんがいらっしゃいます。
刺激は要りません。ただ静かに家事をこなし
もし自分の時間が持てるのであれば、何か教えを賜ろう。
連休はこのように過ごしております。
生きとし生けるものが幸せでありますように。