前の記事で般若心経の事に触れた。
お経一巻、それを渡された所で
お経の意味がわからなければ
それこそ机上の空論なのかもしれないな。
父は私の写経を見て特別な反応はなかったが
拒否する態度もなかった。
あ、そう。という感じで
ただ、お茶をすすり 持って行った甘味に
舌鼓を打っていた。
あー、これぞご隠居、という風構えに
私は満足したのである。
般若心経の写経が机上の空論であっても
「思い」は来世にも影響するという。
スピリチュアルを急に持ち出して
根も葉もないが主観を書き留めておく。
親に対しての「思い」、「感情」は
般若心経のようにこだわらなくなっていただろうか?
私は振り返って後悔するに違いないのだ。
父や母に詫びたい気持ちだらけである。
少しでも「こだわり」をなくして
直接、感謝を伝えて生きようではないか。
そんな私の、机上の空論を、
笑いたいお方は笑えば良い。
私にとっての写経は、心の正常化に
十分 実感できるもの、である。
父とまた、お茶を飲む。
そんな穏やかな時間を過ごす日まで
一巻、また一巻 写経の日々である。