Luna Dropのメルヘン部屋 ~50代からの節約生活~

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20年後と今 どちらにも優しい

私に夢中という表現が気に入ってくれたら嬉しい。

本性むき出し、よりはだいぶマイルドだね。

こんなふうに私は、私の決心によって、申し訳なくもその影響を受けてしまった兄弟たちは、私を煙たい存在だと思ったに違いない。当然のように軋轢が生まれる。
私のせい(にする事)で彼らたちが、相応の距離を置いたり、冷却期間を設けたり、私から辛辣な言葉を向けられても十分な体力があるとき、またはお互いの利害でメリットがある時に限り、大事な話をする。

このほど、高齢の両親を心配し、またラインで、話すようになった。何年ぶりだろう。
彼や彼女たちは、もう体裁や保身の鎧などは脱ぎ捨てている。少なくともライン会議場ではw
とても気楽で精神が自立している。
そして慈愛に満ちている。

彼らは私を許したからまた会話をしているのではない。私を好きになったわけでもない。
そういう事はとっぱらい、親を心配しているのだ。
そして、できる事は何か慎重にその優しさを温めている。
何もできなくていい、できる事で父や母を励まそう。
それで合致すれは兄弟として十分なのだ。


人生の大事な選択の時に
私は二十年後の自分と今の自分とに、1番優しい方を選ぶ。今の自分だけでは二十年後の自分にはしんどいかもしれないな。
なのでその選択は自己中、と思われる。必ず!

二十年後、その事はやっと理解される。
下手をすれば三十年、待つ事になる。
その時間はけして無駄にはならない。
兄弟たちは(他人は)私から遠ざかるが、それはこうも解釈できる。私は兄弟たちの(他人の)人生の邪魔にはならないで済む、という事だ。

二十年先の事を、先見という(言わないかもしれん)が
夫の先見は 私の羅針盤の1つだ

80年代に夫は
「未来は一家に1台パソコンは当たり前になる」

「みんなが移動電話を持つようになる」


えええええ?しんじらんなあい、と、私は思っていたが、今はそれが現実になっている。

二十年後の自分にも優しく
今の自分にも優しい選択はどっちだ
72歳の私は死んでいるかもしれないので
それも念頭において今を味わい尽している

よって、1日が自分夢中時間で終わっても当然と考える。
ごめんなさい、私は、私に優しいのだ。
こういう生き方は新しい、という人もいるし
自己中、という人もいるから
はじめに謝り、終わりにも謝る。
この記事は兄弟達に読んでもらおう。
私達のライン会議は心地よい距離が約束されている。