Luna Drop

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やる気に勝る、心の観察

今月末、父と母がオンライン面会が叶います。 母が入所して一年3ヶ月が経ちました。 振り返ると、両親はもとの暮らしに戻れない事に執着、未練の日々でした。

両親は、欲も少なく苦労を乗り越えて来ましたが、

老後の心の準備をしていなかったのが今を物語るのです。

肉体の衰えと心は別なのです。

この事は、両親を見て思います。

心は他人にはけして幸せにはできない、 それがわかると、

両親のどんな状況にも動じなくなりました。

 

 

50過ぎて、両親の衰えをサポートするのは、楽しいわけがなく。

やる気なんて、出ません。

自らの老後問題ならともかく、 親の老いに付き添うのは、

半端な決心では心を折られます。

もし年寄りに付き添うための、やる気について決心するならば

覚悟を3つご紹介します。

 

1つ  大きな決心でなくても良い。

最小で良いのです、その方が細く長く続けられます。

最小の努力なので、知力体力の変化で起こる軌道修正や、

心構え、反省もそれほどしんどくありません。

 

2つ 成功を期待しない。

喜ばれない、褒められないと腹をくくります。

最後は〔死〕で終わるのですから、 明るいプロジェクトではありません。

時々、これはご褒美かしら?と感じるような事象に遭遇する事が

あるかもしれません。 それで十分です。

親にはその日その日にムラがあり、どんなに尽くしていても

「お宅様はどなた?」となるわけです。

そんなやり取りがしょっちゅうになります。

動揺せず、観察します。

 

3つ 善友なくとも一人歩む

親の付き添いを喜んでする親族のあるなしは、

自身の業の計らいだと諦めました。

その方が身が引き締まり、良い事だけを心がけて実践する勇気が湧くのです。

他人の心がけは自分にはわからないものです。

下心や批判に流されているかいないかは、自分の事ならわかります。

もし、うまくいかなくても、それは時間の法則で機が熟していないか、

自分が蒔いた種、と気にしない事。

すっぱりと悪業を受け止めて流します。

 

暗い話を一旦おきます。 ハイライトもあるからです。

努力の結果は関係する人々を必ずや明るくします。

良い事はたとえ小さくても共有できるのです。

親の衰えは、親は隠していたいのですが (認めたがらないのですが)

観念する日があるのです。

その時のために、準備をしておく、そのようなスタンスが自分には気楽です。

 親を観察することと 自身の心も整理しておくことです。

 

 

やる気につながるかわかりませんが 心には〔栄養〕が必要です。

栄養は、余白、のようなものです。

空間、家族、親族。 知力、体力、経済力 それを超越する何か、です。

問題に対して、ちょっと距離をおく(冷静になる)という感じで。

 

リラックスしたとたん、

あるいは何も考えないとき、

完全に諦めた時など

ー余白ーのようなものが あらわれます。

じっくりと本を読むのも良いです。

気に留めた事を心にすえ実践するのです。

作業をしながら、中村先生のユーチューブを繰り返し聞くこともあります。

もし、経典の内容がわからなければ わからないまま、 今できる最善を尽くします。 粛々と過ごすこと、 静かに波立たない心でいられれば 一人の時間はすごく楽しく安らかです。

 

 

 

下記はウィキペディア、引用 サーリプッタの考える道順 編集 真人

・正しくさとった人のすべてが通ってきた道順は、

五つの蓋[25]を捨て去って、

心の煩悩を明らかに知って、

四つのことを心に思い浮かべる修行(四念処)のうちに心を安立し、

七つのさとりのことがら

[26](七覚支)を如実に修行し、

無上のさとりを完成したということであった。

 

[27] また、最初の時期には五下分結についての解釈は一定しておらず、

死後に四悪道のいずれかにおもむかせる五つの束縛という解釈もされていた。

[28] 〔25〕 五蓋の内容は、心の煩悩を明らかに知ることと、

四念処 (身念処 - この身体は不浄である、

受念処 - 感受するものは苦である、

心念処 - 心は無常である、

法念処 - すべての事物は無我・非我である)を合わせたもの。

 

ブッダ最後の旅』 岩波文庫P206注30 中村元 〔26〕

 

七つのさとりのことがらとは、

択法 教えの中から真実のものを選ぶ、

精進 一心に 努力すること、

 真実の教えを実行する

喜びに住すること、

軽安 心身を軽やかに・快適にすること、

 対象への囚われを捨てること、

 心を集中して乱さないこと、

 おもいを平らかにすること、とされる。

 

ブッダ最後の旅』 岩波文庫P250注96 中村元

ブッダ最後の旅』 岩波文庫P206注30 中村元 ^ 三界説はダンマパダやスッタニパータの中にも出ていないが、五下分結、五上分結の観念はおそらく成立していたと考えられている。三界説が成立したのは、かなり遅れてのことであるとされている。『ブッダ 神々との対話』岩波書店1986年P228 第1篇第1章第5節の注2 中村元

やる気が出ない時は、心をこめない行動

今週のお題は、やる気が出ない、

という事ですね。

そんな時は、やらずに済むものは

思い切ってしないと決める

やらなければ通らないなら

さっさとやり、終わらせてしまう。

やる気が出ない事に自分を責めたり、

落ち込む時間がもったいないからです。

さて、やる気なんてなくても

心は込めず「行為」はできる、と考えます。

家事など、休みなしに発生するあらゆる細かい仕事にいちいち「やる気」を起こしていたら、それこそ疲れます。

せいぜい、重い腰が上がらない時の、

工夫。とでも言いましょうか。

5つあげてみます。

1ライトを変えてみる

明るくするか暗くするか、お好みで。

2音楽を聴く、あるいは聞かない

集中できる方で♪

3香りを楽しむ、あるいは換気

香りは好みが分かれますね、

無い方がいい方には「換気」。

リフレッシュするかも。

4嗜好品やお茶

飴やガム、お茶を飲んでみる

気楽に、気分が早く変わるかも。

5仕事を終えた時の気分を想像する。

気重に思うことはなぜなのか気にせず、

もし終わったならどんな気分になるのか、を想像する。それなら早くやってしまおう、と思えるかもw

人は感覚が自分好みであればずっと続いてほしいものです。

やりたく無いことは(やる気が出ない事は)

やるべき事だったりします。

だから心をこめずにやってみる、

やりだすと、なんだ簡単じゃないか、

などと、

やりながら、作業する感覚を得る。

という、流れに身を置く事になりませんか。

やる気スイッチが、

入っていれば十分ですし

心をこめずに終わらせる方法もありです。

結論、心をこめずにやってみる

でした。

やる気が出ない時は、心をこめない行動

今週のお題は、やる気が出ない、

という事ですね。

そんな時は、やらずに済むものは

思い切ってしないと決める

やらなければ通らないなら

さっさとやり、終わらせてしまう。

やる気が出ない事に自分を責めたり、

落ち込む時間がもったいないからです。

さて、やる気なんてなくても

心は込めず「行為」はできる、と考えます。

家事など、休みなしに発生するあらゆる細かい仕事にいちいち「やる気」を起こしていたら、それこそ疲れます。

せいぜい、重い腰が上がらない時の、

工夫。とでも言いましょうか。

5つあげてみます。

1ライトを変えてみる

明るくするか暗くするか、お好みで。

2音楽を聴く、あるいは聞かない

集中できる方で♪

3香りを楽しむ、あるいは換気

香りは好みが分かれますね、

無い方がいい方には「換気」。

リフレッシュするかも。

4嗜好品やお茶

飴やガム、お茶を飲んでみる

気楽に、気分が早く変わるかも。

5仕事を終えた時の気分を想像する。

気重に思うことはなぜなのか気にせず、

もし終わったならどんな気分になるのか、を想像する。それなら早くやってしまおう、と思えるかもw

人は感覚が自分好みであればずっと続いてほしいものです。

やりたく無いことは(やる気が出ない事は)

やるべき事だったりします。

だから心をこめずにやってみる、

やりだすと、なんだ簡単じゃないか、

などと、

やりながら、作業する感覚を得る。

という、流れに身を置く事になりませんか。

やる気スイッチが、

入っていれば十分ですし

心をこめずに終わらせる方法もありです。

結論、心をこめずにやってみる

でした。

業について教わる(記事加筆)

両親の晩年に何の苦労もなく

平然と見送れる肝も智慧も兼ね備えた方には

ここをご覧頂くのはお恥ずかしい限りですが、

人間の晩年、あるいは『死』の管轄は

ゆかりのお寺があるのならそちらに相談事が増えるのは

自然と思います。

 

自分の両親のゆかりの寺、らしきものがない場合は

いろいろ話し合えたとしても

『死』に向き合うのは親も子もしんどいです。

親にとって

『死』が目の前に迫るのは、想像に絶します。

だので、どんな心の状態なのか、よく観察します。

日に日に老いてゆき、弱くなり、

幸福感とは無縁のように思えますが

父は冷静で『あきらめて』おり、

『もう、かまわんでくれ。』と言うのです。

そう父がいう時には切なく、苦しく、自分に刺さる言葉です。

それ以上に、父はもっと切なく、苦しいのだな。

そのように観察し、仏教の得意とする

『理性』や『慈しみ』を頼りにしています。

 そのような反応も自然ではないでしょうか。

 

厳しく的確な道しるべ、終始、理性で書かれている文献を

無料で拝読でき、弱い心を振り返ります。

j-theravada.net

 

 

以下、書庫の備忘録です。

 

業について、深く理解をしている方には、

当方の本のレビューはほとんど役には立たないと

思います。

心の暴走や

妄想をやめる、事はできました。

その程度のログです。

興味のアル方は読み進めて下さい^^

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

長老の著書には、この数か月、読み漁って知識は蓄えました。

いよいよ父の最晩年に、自分は何ができるのか実践の時です。

人の死に向き合う時に、他には手が回らない、余裕がなくなる、

それでよいという見解を得て、気持ちが楽になりました。

  

 

 

 

以下、kindle unlimitedのライブラリより。

その人のできる範囲で仏教的実践を試みる本,ご紹介。

 

 

どのページから読んでも良い、

心に響く原因はなんでしょう。

 ていたらくな自分に克!

原訳『法句経(ダンマパダ)』

 

 

 

 

 

思考の整理、理性の思考とは?

性格判断を仏教的に考察。新鮮で深淵。

こころの成長度で、自分の性格が変わっている可能性はある。

できる人、という概念を覆された本

 

 

 

社会に出て、人生の選択を続けてきた結果(恩恵)を味わう時。

 恐らく最初は両親から、そのあと学校や社会生活で培った【道徳観】は 【マナー】程度にすぎない、と思った本。 人生の帰路に読むべし、とライブラリにある一冊

  

 

 

 

目下、自分の立場では、親の悩みがない人をうらやましいと感じ、 仕事の能率が下がる時、思考の整理に役立ちます。 人を羨む暇があれば、自分の努力にあてる、という思考になれた。 お坊様にも【ねたむ】気持ちはある、悟った人に至るまで、 心の観察(瞑想)は大事だと、厳しくも優しい教え。 羨んだり、ねたみから自由になれる実感(また妬みは現れるかもしれんが、) 自分の心を過信しない事に役立つ本。

 

 

 

自分は粘り強い、という暗示。 暗示ではなく集中だったら尚良い。 集中は脳に歓びを与える。 その道のエキスパート質の努力や修行、研究を苦労と思わない、むしろ探求心と、集中力で 喜々としていたり、若々しい事に納得する。 やりたい事以外に、むしろやりたくない事に集中したらどうだろう? 高齢の両親との限られた時間にも、集中。時々読み返す。

 

 

 

 

これは仏教書なのか?と思うほど、長老が意識して 日常で浸透している名詞や言葉を使って説く。 仏教色はポイントで効果的に示すだけで、 本屋さんで、自己啓発本を選ぶテンションで読める。 奥深いところで、仏教が普遍的・理性的な方法論を示していることに 腑に落ちる。八正道を八つの脳開発プログラム、と表すあたり。 自己啓発が好きな人におススメ。

 

 

 

人とのあつれき、世間とのズレ、孤独を静かで平和な環境だと思う事など、 誰からも明確な答えは得られない事に、仏教は道があると示す。 最初から暗いし厳しいのは、長老の著書の特色だと思うようになってきた。 後半の、自助努力・研鑽あってのみ【ありのまま】を捉えるようになる、鵜呑みにするなよ、と説く。 仏教の【ありのまま】とは、ちまたで言うカジュアルさや、ゆるっとした愛嬌の事ではない。 人間は必ず死ぬ、その事をごまかしたり、オブラートに包んだりしない事だ。

 

 

 

 

わたし、わたし、そんなものはありません。 わたし(自我)は錯覚と説く仏教。 わからない境地はあるものだ、 だとするとそれを目指す人のおっしゃりを 紐解いてみたい、そんなレベルの自分にも 何度か読み返すと印象が変わる本。 仏教が深遠な事、それがわかっただけでも しあわせだと思う。

 

 

 

 

読み手の心の成長にあわせて読む。 わからない事が多かった。 落ち込むことなかれ。 50歳過ぎて、鍛錬することを歓びとするならば名著と思う。 無我を憧れの境地とするならば、 まだまだ原始的な心をどう育てよう。

 

 

 

難しいレベルから、一旦落ち着こう。 できることはなんなのか。 できていると思っていたが、もっと丁寧に。 心を探って、育てる事。心のメンテナンスを外注はできないと心得る。 慈愛は人間にしかできないとおっしゃり、 そうであっても原始的な心のまま死ぬのが人の一生だと。 輪廻はこりごり。。。少しでも心を成長させよう。 母と手紙の交換は、【慈悲の瞑想】の事を書く。 老いても、慈悲の心は育つ、その人の研鑽次第。

 

 

 

 

ユーモアさえあれば。 七難は隠せるかも。 もう十分に心得たと言えず、 また読み返したくなる1冊。 お釈迦様の時代のユーモアが 現代のユーモアに通じるのか? 自分の稚拙な疑問にも応えてくれる。

 

 

 

 

 

 

生きとし生けるものが幸せでありますように。

(投稿はしばらくお休みします。)

日曜日に作り置き

朝食やお弁当の作り置きをがんばりました。

これがあるのとないのとでは段違いです。

 

 

cookpad.com

 

 

 

cookpad.com

 

 

作り置きのレシピ投稿で、詳しくデータを分析して

役立つコンテンツにしようと思ってます^^

 

 

youtu.be

 

 

 

週末に読んだ本。

めっちゃ面白かったです。

料理で、脳は開発できるでしょうか^^;

 

 

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初出掲載:2019年6月28日