Luna Drop

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食事の観察 ~平日は日曜日感覚~

今週のお題「感謝したいこと」

 

去年の今頃はメタボ改善しようとダイエット真っただ中でした。

半年ほどかけて7㎏減量。

今はBMI23%と22%を行ったり来たり。

激しい運動はせずとも、約一時間ほどウォーキング。

家事で体重をキープしています。

 

2か月ほど前から、朝食前にお経CDを聞くようになりました。

コロナ禍で夫が在宅で仕事をするようになり、

次女を学校まで(7kmほどの)送迎。朝と夕方に運転をします。

主婦生活リズムが一変しました。

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夫が家で仕事は、昼食をきっちりお昼に準備しなくてはなりません。

昼食は自分のペースでひとり気楽に、は通用しなくなったのです。

始めはストレスに感じましたが

前述のとおり、私は私の日課で過ごすことに落ち着きました。

家族の仕事や学校のスケジュールは私の好みで決められないので、

当然合わせることになりました。

朝食と次女のお弁当と夫の昼食は、きっちり時間までに作ります。

 

 

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朝ご飯は6時半です。

 

お弁当は他の家事と同時進行で、7時半には作り終えます。 f:id:inoue-0218-yuko:20201204113728j:plain

これらを守れば、あとは私の自由でいいわけです。

 

 

 

次女を学校まで送って、帰宅したら洗濯を干し

自分の寝室に仏具コーナー前にお供えをします。

お経を聞きます。

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食事の観察をして一人で食事をします。

 

 

今朝の食事は私は何回口に運ぶか?を数えます。

スープから頂きます。

あとは一口ずつ口に運び、30回ほど咀嚼します。

咀嚼の間、箸はおいてもいいです。

食材によっては30回も噛まなくても良い場合があります。

臨機に、咀嚼回数は変えますが、よく味わいます。

今朝は80回ほど、口に運びました。

腹八分で十分、食べたという満足感があります。

全体のカロリーは高くなり過ぎないように献立します。

温かい物、冷たい方がおいしいもの、

塩味、酸味、甘い物。栄養素などもバランスよく。

これは続けて何年になるでしょうか。

上部コンテンツから 食事やお弁当の記録をしています。 お弁当は詰める順番に撮影して、 詰め方をご紹介しています、よろしければご覧下さい。

cookpad.com

 

自分の胃袋に腹八分目、運動は家事をこなすことでメタボにはならない。

一回の食事で100口以上も口に運ぶと、食べ過ぎて苦しいです。

スープを先に頂きますが、スープで10口ほど口に運ぶことは

満腹感に関係します。スープや汁物がないと、口に運ぶ回数が増えます。

 

このような観察を毎朝、時間が許せばお昼もできることは

私にとって平日は日曜日の感覚です。

土日の食事は家族と一緒に一般的(食事の観察は適当)に頂きます。

自分が満足する量を、自分で配膳して頂く。

黙々と食事の観察することを、習慣にできることは

有難い事だと思います。

食事が終わればまた家事です。

朝食が遅いので次に空腹になるのは3時ころです。

お坊様の午後は食事をしない事には及びませんが

2食で満足できます。

夜も空腹で苦しい時はお茶を頂きます。

おせんべいも食べちゃう記事はこちら。

 

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平日は日曜日感覚というタイトル。

コロナでどなたとも会わなくなり

お付き合いがほぼゼロになったので

これは仏道修行のチャンスです。

誰にも気兼ねなく

私は私の胃袋に付き合うだけでいいのです。

胃袋さん、もうそろそろ八分目ではないかしら?

え?もっと食べたい?

などなど。

こんな自由が得られるなんて。

修行だと思わずに、わたしのくつろぎの時間、と言う話でした

 

道徳とはスーパークールな生き方

はじめに主観的記事になってしまうことをお断りしておく。

人は自らの道徳観で人生が彩られる、

って思ったことを書こうと思う。

親から受けた恩は返しきれない、ただしかし親の負の部分

敢えて切り込んでみる。

 

私が50数年生きてきて

両親から教わった道徳というのは

もしかしたら「お行儀」程度だったのかもしれない。

父も母も非道徳な生き方ではなかったし、

昭和あるあるだとは思うが

親の言いつけを守らなかったら体罰は当たり前で、

親は体罰を「しつけ」だと言っていた。

そんな風に痛い思いをしなくたって、わかるのに!

体罰を受けるこちらとしては思ったもんだが、

怒られたくなければ悪さや親が戒めることを守った。

おかげで大恥をかいたり、ひとに迷惑はかけまい、

と言う事は守って生きて来られたと思う。

しかし、仏教で示す『道徳』はもっと崇高なものだ。

しかも体罰や、命令ではない。

自ら、欲から(執着から)離れるってことと、

自我を抑えることで身につく生き方のことだと心得た。

こういう捉え方で合ってるのか、仏道の先達さんからみれば

『まだそんなレベル?』と笑われそうだが、私にとっては

(大きなわだかまりだった)執着をひとつ捨てることができたのだから、

この、軽くなった気持ち、清々しさをどう表せばいいのか。

今まで、味わったことのない気分で、

長い時間をかけてパズルが完成した時のような

欠陥部分にぴったしおさまった感覚だ。

 

 

トラウマ

先日読み終えた、『出家の覚悟』では

南直哉先生が、生きづらさを抱える人には

何かしら親子関係で、トラウマ要素があると言う点で、

長老も同感しておられ、いかにして人間形成していくかは

とかく人生は世知辛いものであることに対して

何とか乗り越えられるか、はたまた悪循環の方へ転がるかの

決定打(一因)になりかねないと懸念する。

それほどにも、親から教わってきたこと、学校時代(先輩、同輩後輩とのあつれき)、

社会にでるまでに、どんな風にしつけられ、人間関係のあつれきに程よく距離をおけるかで、『トラウマ』になってしまった人の人生はけして明るくない。

不幸な場合は立ち直れないほどにまで影響するって事だ。

長老が言っておられたが、絶望した人、自殺したい人は

特別な言語を語るという。

私はその言語の事はわからないが、その人たちを救いたくても救えなかったやりきれなさについても、仏道は『死』を理性的に扱う仕事とおっしゃるところに、感銘をうけた。

絶望感にさいなまれた人の危うさは、私も覚えがある。

自分の生活を支えるのがやっとの半端な私に、絶望した人を救えなくて当然。

だったのだ。なぜ救えなかったのかって言う事は今後は考えまい。

この本に出会えて、『救えなかった後悔』を捨てる、に至った。

 

 

体罰を抑制したゆとり教育の結果

私が親になる頃には、体罰は社会的に許されない気運に変わっていた。

それはちょっとは人間が進化した事のようにも思えるが

未だに暴力やいじめ問題は親子・学校では事件事故のニュースは絶えないし

家庭という子どもが最初に身を置く小さな社会で『暴力』を受けた場合の、

危うさを誰が修正するのか。それは本当に難しいしややこしいし悩ましい。

しかし、もしその問題を引き起こさないように、家庭では『自我』に気を付けてしつけられたら、親も子も成長できるし、そのように育てれば子どもがやがて社会に出る頃には、何かしら社会に役立てる人間に育つのではないか?

要するに、厳しい体罰はいらない。

しかし親は子供に

『自我を張らないようにしつけるべき』

という事だ。

 

 

 

 

 

ここから先は極めて主観が強い、駄文です。

自分が親になってみて

前述のように指針があって私は子育てはしたわけではないが、

巣立っていった長女を思えば、如実に結果がでている。

体罰は良くないとされる世の中で、ゆとり世代で育った彼女らは

繊細で優しく、大体はまじめだけれど、『心の問題』に脆弱な部分をひた隠しで生きているように思う。メンタルバランスが自分で調えられない人間を、メンヘラ、と言うようになったのも、長女の思春期頃に生まれた言葉だと思うが、違ってたらごめんなさい。

 

生きて行く中で、身体は五体満足でも、心に脆弱な部分が多かれ少なかれあって、補ったり修正軌道にもどれるかは、どんな人と【縁】でつながれるか、まるで博打みたいなんである。もし不幸にも、道を誤ったまま、メンヘラはメンヘラでしかないってことでどんどん孤立化。もともと不安定な彼らは引き寄せ合う。悪いものは悪い物の吹き溜まりになっていき、そのうち大きな事件になって社会で表面化する、ように思う。

 

厳しすぎも緩すぎるのもダメなんだな

私たちの親世代は、戦争経験者を親に持つ。

だから封建的な育て方がありありと残っていた。

道徳観は家の恥にならないよう、それは社会の恥となるからと、

体罰は当たり前だった。

そう言う閉塞的な威圧感は、家庭内で一定の統率はあるものの

人格を育てる『道徳教育』とはかけ離れている。

だから、私たちの親は今では年老いて、

子どもとその権威逆転が起こり、

本当には『慈愛』が身についていないゆがみが、結実したことを味わうのである。

それほどまでに『道徳観』はけして見過ごすことができない。

日常に正しい道徳をすえられれば、

それなりに穏やかで落ち着いた人生が結果として出せているはずだ。

このように今、年老いた父も母も哀れである。

厳格に、家の恥?とやらをさらさないで生きても、愛別離苦の執着を手放さない。

親の体罰で泣いた私たち世代が気を付けて、体罰はしないで

しかし、『奔放な自我』を可愛いがために許して育ててしまった結果、

長女は仕事はまじめだけれど、プライベートはわがままである。(メンタルは弱い方)

 

道徳を仏道から学びながらの今

幸か不幸か、次女は11歳年下で、今まさに自我をどうコントロールしていくかを

次女自ら問う年頃になった。

次女よ、君に言おう。自我より道徳だ。君は何としても道徳を求めて生きよ。

そうすれば、君は君の人生でスーパークールな成果を味わえる、だろう。

君のその、亜インテリジェンスなセンスと、

君が親より道徳的な事を、私は今まで生きてきた『恩寵』だと思う。

たったこれだけを知るために生きてきたと言っても良い。

道徳的な生き方は、スーパークール。これに尽きる。

 

 

 

 

 

 

 

やけど、その後。臭い、かゆい!

やけどの深度が深かったため、

(何しろグルーガンが素足にへばりついたので。)

 水ぶくれの心配はおろか、みるみるうちに

ただれました。

じくじくした粘膜が固まるまで10日かかりました。

こうなってくると、痛みよりも

足を洗えない臭さか、血膿の匂いなのか、

覆っているガーゼを毎日交換するたびに

ひどい匂いなんです。それと!

めっちゃかゆい!だけど掻けない!

ガーゼをとると、掻きむしりたくなりますwww

自分の足ですが嫌になりますね。

いい勉強です。

 

冒頭からグロい話ですみません。

このままお帰り頂くのは申し訳ないので、

ご存知の方も初めての方に、『勝利の経』。

今、私の足はものすごく臭い、と言う事でw

パーリ語のお経、『勝利の経』と

自分の臭さがぴったりあてはまるんです。。。

こんな風に引用するのはまちがってるかもしれませんが。

 

リンク先のパーリ語日常読誦経典

下の方に音声ファイルがあって 長老のお経が聴けます!

 

 

勝利の経 Vijaya suttaṃ

 

おそれ多くも無理矢理こじつけた感?

失礼の数々、すみません!

自分の身体の臭さ体験。

真剣真面目レポートのつもり。

どうかお許しください。

 

 

 

j-theravada.net

 

生きとし生けるものが幸せでありますように。

「Kindle Unlimited」が3ヶ月99円!12月1日まで!

今週のお題「感謝したいこと」は、

 

kindle電子書籍です。

ブラックマンデーセールで通常よりもお得です^^

www.phileweb.com

 

読みたい本は最近では、図書館で借りて読むか

なるべく物が増えないようにしているんです。

しかし、人生の指南書のように、仏道を実践する上で

読み終えたあとも繰り返し読みたい事ってあると思いました。

それが何冊にもなるのだとしたら?

心を調えるための、すごくコアな部分ですので

愛読書・実用書が仏教の本ばかりなのは、

家族に何となく知られたくないというか、

(別段、バレバレなんですがw)

その辺はうまく説明ができませんが、

ひとりでこっそり進めたいんです、夫に私の内面の奥深いところ←(ちょっとカッコつけすぎ?)

仏道をとことん探求したいとは、なんかいいたくないんですよ。

こっそりwっていうのも、しっくりきません。

え~と、一人になれるんですよ、読書中ってw

その時間はやっと家事から解放されて

どんどんと衰える(いつかは死ぬ)身体の研究について

きっと理解されないと思うんですよねぇ。

たとえば、晩酌をやめた途端、なんだか

夫が飲むのは一向にかまわないが、私は飲まんと決めた、っていうのも

絶対、理解してもらえそうもないんでw 『…んだよ、飲まないなんてつまらん奴』的な、俗っぽい例えですが

お分かり頂けると嬉しいです。

私は、(こそこそと)ひとり(夫にこの研究はわからんでも結構、それでいて家族として信頼関係で十分じゃwという気持ち)で仏道を進もうw

だって実践(自分のからだを使って納得)しなきゃ意味がない。

私っていうものはないんだなって

心が納得するまで。。。

 

そこにたどりつけるのか??わかりませんが

この身体を使って実験をしているんですね^^

 

気になってしかたなかった本!!

出家の覚悟

 

 

南直哉先生との対談本でして、

↑(長老が本の中で南直哉僧侶を『先生』とお呼びしていたのでワタクシもそのように表記させて頂きます)

ゾクゾクしながら読み進めております。

 

内容はネタバレになっちゃうので書けませんが

なんかこう、仏道の師匠、先生のおっしゃりは

超クールっす!

 

長老の著書、しかり、初期仏教の本が

kindle版では0円で読むことができること。

ありがたや、ありがたや!

やけどしてわかったこと。

今週のお題「感謝したいこと」

 

足の甲にやけどをしました。

それで手当てしたり、

ケガが影響しないような家事どまりになり、

不便極まりない日々です。

感謝したいことはズバリ、何気ない日常は当たり前ではないな、と思えたので書き留めておこうと思いました。

 

やけどの原因

チャリティー用のクリスマスリースを学校で募る、という事で

試作して、グルーガンを使いました。

勘の良い方は、なるほどね、と予想がつくと思いますが、

その通りでございます。グルーガンでやけどをしてしまいました。

皆様、お気を付けください^^;

 

落ち込んで気づくこともある

ケガをして、気付くこともありますね。

普段は日常の家事など、何ともなしにできることが

無意識に作業する、とは行かないんですね。

やけどの箇所が当たらないように、痛みを我慢しながら

パフォーマンスはダダ下がりです⇘⇘⇘

 

必然的に座る作業や料理など、比較的影響のない家事を頑張りました。

手芸で母のプレゼントを作ったり、夫の郷里に手紙を書いたり。

年賀状書きやふるさと納税など、いつもなら年末に慌ただしくやる事を

今年はもうやり終えてしまいました。

怪我の功名? いささか負けず嫌い発言かもしれませんがw

ケガをした時でも、仏道的日常では落ち着きや

ケガに対して客観的でいられると思ったんですね。

 

斎日

今日は今日とて 斎日です。

8日、14日、15日、23日、29日、30日の

五戒、八斎戒をできるだけ守って過ごします。

夜には長老の法話を聞いて、夜は更けて行きます。

ひと月、経つのが早い、早い^^

 

自分の普段の生活が、ていたらく過ぎて 

ぬぉぉぉぉぉ、ってなる本

 

 

そいでもって きっちり『戒』について

教えて下さるお寺のホームページ!

www.horakuji.com

 

ぅわ、自分は、戒を破りまくりだなぁ、洋楽聴きまくりで

家事やっちゃったよぉ、とかw ザラですw

( ;∀;)ゃば。。。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように。

 

 

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初出掲載:2019年6月28日